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ジャングルから上空を見上げたような、1944年の《操縦 整備 通信 陸軍少年飛行兵》は、洋画家・伊原宇三郎の作品である。
戦時期には多くの画家が戦地に赴いているが、伊原にも陸軍嘱託画家として、南方に派遣された経験があった。このため、本作も「実体験」を踏まえたものと思われてきた。ところが、実態には広告専門誌の表紙を飾った、化粧品会社の広告《香水「飛行」》から、着想を得た作品であった。もっとも、後者が伊原にとって「使える」存在に映った背景には、従軍時に現地で目にした、「似た景色」が関係していたのは確かである。前者において上空を飛行するのは、「鍾馗」という愛称を持つ、陸軍二式単座戦闘機である。
ナチスの宣伝活動を研究していた日本
ミュンヘンを拠点に活動したホールヴァインは、生涯に数多くのポスターを世に出し、国際的に活躍した。しかし、晩年はナチ党の一員として、宣伝大臣・ゲッペルスと宣伝省の下で働くことが多くなり、同業者にナチ党への協力を呼びかけるなど、政治的な活動が大きくなった。
戦時期の日本は、諸外国の宣伝活動に関する情報収集や研究にも熱心で、ゲッペルスや彼が率いた宣伝省の活動にも精通していた。
ドイツの募兵ポスター《ナチス・ライヒクリーガーバンドに集え》が、《航空★船舶 陸軍特別幹部候補生》へ翻案化された背景には、そうした事情が関係していたのかもしれない。
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