となれば、このタイプの妻と「気合、根性、努力の昭和型を押しつけるパパは当然ぶつかります」。その夫は難関校の出身だったり医者だったりと、彼らなりの成功体験がある。そのため「子どもが算数ができないなら、『俺が教えてやる!』としゃしゃり出るのですが、喧嘩になるのがオチです」。
石田さんは、こう説明する。
「人材育成の最大原則は、短所をいじらず、長所を伸ばす。自覚しにくい長所を伸ばすと、自覚しやすい短所を自ら是正する。人材育成のプロはみんな知っていますが、なぜか家庭に普及していません」
昭和型価値観の夫は、時代遅れだ。「気合、根性、努力でも、そこそこは上がるけど、子どもたちは辛いからやめてしまう。すると元に戻る。持続しにくいのです」
なるほど、この指摘は僕に思いきり当てはまる。
意思決定はせず、情報収集役に徹する
僕は地元の最難関私立高校と都内の有名私大を卒業している。東大卒や海外校卒も視野に入れると、もっとピカピカの経歴の社会人は星の数ほどいる。そのため、自意識には全くないが、時に「エリート」扱いされる。居心地の悪さを覚えるが、そう見てくる人たちもある程度はいる。
長男が園児だった頃、僕も算数を教えようとした時期があった。反発され、2週間で終わった。この反省から、彼の塾での成績が伸びなくても、自ら教えることはしなかった。つてをたどり、中学受験経験者の大学生を探し出し、面接を経て、家庭教師として採用した。今のところ、この作戦は功を奏している。
昭和50年代生まれの僕には、昭和型価値観が強く残る。石田さんの話を聞けば聞くほど、自らの過ちが暴かれていく。では、どうしたらいいのだろうか?
教育の主導権はどちらが握るべきなのか
「教育に関心があって、ジャーナリストならば、情報収集役に徹すればいい。主導権は奥さんに委ねるから、意思決定者にはなりません」
「奥さんに『こんな情報をもらったのだけど、どうしようか』と報告するスタンスにとどめる。奥さんだって、本来ならば情報収集するご主人は助かるはずですから」
僕は幼少期から母親に「あなたに残せる遺産はない。だから、教育だけはしっかり授ける。出し惜しみしない」と言われて育った。僕が出た私立高校や私大は学費が高い。しかし、要返済の奨学金に頼る必要はなかった。やりくりしてくれたお陰だ。
妻も教育の大切さは理解している。教育関連の新しい書籍を読んでもいる。だとすると、主導権を持たせる選択肢もあるのだろうか……。