「気づいたら、自宅の床下を少し水が流れていました。マズイなと思ったのですが、直後に一瞬、雨が上がったのです。日が差したような気がして、温かく感じました。『助かった』と思って胸を撫で下ろしていたら、また激しく降り出しました。既に田んぼも道路も海のようになっていて、腰の高さまで浸水していました」
この辺りは散居村と言われる農業地区だ。広々とした田んぼの中に、屋敷林を背負った農家がぽつん、ぽつんと建つ。女性宅はそのうちの1軒だった。
「平屋建てなので、垂直避難しようにも逃げ場がありません。隣家も離れています。命の危険を感じて警察に電話しました。パトカーで2人の警察官が来て、おぶって助け出してくれました」
女性は50代の息子と2人暮らしだった。その頃には息子も会社から駆けつけ、パトカーから女性を引き取る。以後は息子の車で避難所を探し回ることになった。
ハザードマップで浸水しないとされた避難所も…
というのも、身を寄せようと考えた町の指定避難所・町民総合センター「あ~す」は浸水して入れなかったからだ。同所はハザードマップで浸水しないとされていたが、今回の水害では浸かった。
町役場が水害で想定していたのは、置賜白川などの氾濫だった。これだと女性宅も「あ~す」も川から離れているので、浸水するようなことはない。しかし、この日は降り方が違った。日中から深夜にかけての12時間雨量は観測史上最高の270.0mmを記録した。このため山に降った雨が平野部に駆け下る。水田に降った雨もあふれる。そうして一面が海のようになってしまったのである。ハザードマップでも想定外の事態だった。
原因は線状降水帯である。新潟県から山形県にかけて停滞した前線に、台風由来の湿った空気が流れ込んだせいだった。
「避難所を探しているうちに夜になってしまいました。道路はどこも川のようになっていて、水田などとの境目が分かりません。脱輪して田んぼに落ちてしまうのではないか、深みにはまって車が動かなくなってしまうのではないかと、気が気ではありませんでした。とりあえず、高台の寺の駐車場で浸水を逃れることができたのですが、とにかく屋根がある場所に行きたいと、町の物産館に身を寄せました。椅子を並べ、その上で眠りました」
水が引いてから家に戻ると、中は泥だらけで、住めるような状態ではなくなっていた。
至るところで線路は崩れ、レールも宙に浮いていた
自宅のすぐ後ろを走る米坂線は、至るところで線路が崩れ、大量の砕石が田んぼに流れ込んでいた。レールも方々で宙に浮いていた。
この日の豪雨で被害に遭った住家は、山形県内で775棟。そのうち191棟が飯豊町だった(8月26日時点の山形県のまとめ)。