1ページ目から読む
4/5ページ目

 小国町役場で交通政策を担当する総合政策課の横山真由美係長は「米坂線は主に高校生が通学で利用しています。米沢市や、フラワー長井線に乗り換えて長井市の高校に通っているのです。私の息子も昨年まで長井市へ通学していました」と話す。役場では現在、利用実態の調査を行っているが、おそらく50~60人程度の生徒が利用しているのではないかという。

通学する高校生の起床時刻は朝4時30分

 被災前、小国駅と米沢方面を結ぶ列車は1日に6往復しかなかった。通学に使えるのは午前6時2分発だけだった。「起床は5時。弁当を作る親はもっと早く起きます。駅から離れた地区の子は父母や祖父母が車で送って来ます。帰りは長井市の高校からだと、午後7時56分着か、午後10時着。家では寝るだけで、勉強は列車の待ち時間や車内でしていました。よくああした生活を続けられたものだと思います」と横山係長は話す。

 それが代行バスだと、行きは20分以上早くなり、帰りは20分以上遅くなった。

ADVERTISEMENT

 小国駅発のバスは朝の5時半発と5時40分発の1本ずつだ。4時半頃には起床しなければならない。

米坂線(紫色)の路線図。緑は羽越本線、だいだいは奥羽本線

 厳しくなるのは降雪時期だろう。豪雪地帯の小国町では除雪が欠かせず、昨年までは午前6時2分の列車に車で送れるように除雪を間に合わせていた。それが30分早くなると、除雪の開始時間も変わり、「町の始動時刻」を早めなければならないかもしれない。

 ただし、代行バスにはメリットもある。米坂線は天候に左右されやすく、雪や風で運休することが多かった。小国町から平野部へ下りる公共交通機関はJRしかない。運休すると通えないので、学校は「公休」扱いになる。もしくは、家族が車で送迎していた。一方、国道113号を走る代行バスは、めったなことでは運休にならない。定時に着くかどうかは別として、必ず着くという「安心感」は得られることになった。

 そうした代行バス運行がいつまで続くのか。そもそも、鉄道の復旧はいつになるのか。

小国駅に停車した米坂線の代行バス。乗務員と打ち合わせをする駅員

そしてささやかれ始めたもう一つの危機

 実は分からない。JR東日本新潟支社は「まだ被害調査をしています。山間部には徒歩で容易に近づけない場所もあり、現場確認がなかなかできないのです」と話す。

 それどころか、沿線住民の間では廃線の危機がささやかれ始めた。

 これには国の動きが影響している。

 被災から10日ほど前、国交省が組織した有識者会議が、乗客の少ない線区はバス転換などを含めた廃線を議論するよう提言を出したばかりだったからだ。

 提言では、国鉄の分割民営化から35年が経過し、「人口減少やマイカーへの転移等に伴う利用客の大幅な減少により、大量輸送機関としての鉄道の特性が十分に発揮できない」として、利用の少ない路線はバスなどへの転換を検討するよう求めた。対象は「輸送密度(1km当たり1日に何人運んだかの平均)が1000人未満」などとされた。