1ページ目から読む
3/5ページ目

 ただ、「停滞した前線による豪雨災害」が起きたのは、今回が初めてではない。1967年8月28日に起きた「羽越水害」でも、新潟から山形にかけて停滞した前線に、台風由来の湿った空気が流れ込んで大災害になった。死者・行方不明者は両県で104人を数え、山形側では8人が犠牲になった。

「今回の方が酷い降り方だった」。多くの人が口をそろえる。にもかかわらず、山形県内の犠牲者は小白川の県道橋から流された行方不明者だけだった。驚くべきことだろう。

 しかし、米坂線の被害は甚大だった。

ADVERTISEMENT

なぜ米坂線の被害は大きかったのだろうか

 同線は三つの区間に分けられる。

 まず、山形新幹線や奥羽本線が通る米沢駅(山形県米沢市)を起点にして、平野部を運行する区間だ。同駅を出ると、見渡す限り水田が広がる盆地を走る。今泉駅(山形県長井市)は第3セクター「山形鉄道」のフラワー長井線の停車駅も兼ねており、ここまではある程度人口が集積したエリアとなっている。

山形鉄道・フラワー長井線も停車する今泉駅。「鉄道開業150年」ではあるが(長井市)

 今泉駅からは、飯豊町の萩生駅、羽前椿駅などをへて、山深い小国駅(山形県小国町)へ向かう。山の急斜面を通って川を渡り、トンネルを通過する区間だ。景色は一転して、木々の緑や紅葉が美しく、荒々しい渓谷も車窓から見える。

 さらに新潟県境を越えて、終点の坂町駅(新潟県村上市)を目指す区間。坂町は日本海岸に近く、羽越本線に接続する駅だ。新発田や新潟への乗換駅にもなっている。

 今回の災害は、三つの区間によってそれぞれ様相が異なる。

 被災箇所が少なかった米沢-今泉間(23.0km)は、豪雨から5日間運休しただけだった。

 だが、今泉-小国間(35.3km)は、これまで述べたように飯豊町内での被害が著しく、運行再開の見込みが立っていない。前述の萩生-羽前椿間以外にも、山間部に差し掛かる手ノ子駅の近くでは、土砂崩れで線路が埋まり、路盤の砕石が流出してレールが宙に浮いた箇所もある。

宙づりになったレール(飯豊町、手ノ子-羽前沼沢間)

 さらに新潟側の小国-坂町間(32.4km)も2.5km以上連続して土砂崩れに見舞われた地区などがあり、とても運行できるような状態にはない。

 結局、営業できるのは米沢-今泉間だけで、残りの今泉-小国-坂町間(計67.7km)は運休せざるを得ず、JR東日本が代行バスを走らせている。

 どのような影響が出ているのか。

山形側の被害状況は……

 今回は山形県側の事情を記したい。米坂線は山形側と新潟側で乗客の流れが逆方向になっていて、小国駅までの山形県内は、今泉、米沢方面への利用が多い。新潟県側は坂町方面だ。

 米坂線は1936年に全線がつながるまで、山形県側は「米坂東線」、新潟県側は「米坂西線」として営業していた歴史があり、人の動きは今も変わっていないのである。

 山形県側で最も運休の影響を受けているのは、平野部までの距離が離れている小国町だ。