「交通事故の民事裁判は当事者間や、保険会社が相手になりますが、動く金額が大きく億を超えることもあります」
そう語るのは、千葉市で「交通事故調査解析事務所」を営む交通事故鑑定人・熊谷宗徳氏。警察が作成した実況見分調書や、ドライブレコーダーなどに残されたデータを頼りに事故を解析し、法廷に「交通事故鑑定書」を提出するのが仕事だ。元警察官で、千葉県警の交通畑を20年以上歩んだ後、退職して鑑定人になった。実務で培った知見で、数々の訴訟を優位に進めている。
被害者が若かったり、後遺障害を負ってしまったりした場合の保険金額は莫大だ。過失割合を決めなければならない当事者間はもちろん、保険金を支払う保険会社との間でもトラブルになりがちだ。
熊谷氏はこれまで300件以上の交通事故鑑定書を作成しており、その多くが訴訟で効力を発揮してきた。「車に衝突した側に過失があった」として保険金が下りていなかった被害者に落ち度がなかったことを証明し、動いている車両同士の事故では異例の過失割合100対0を勝ち取ったこともある(#1、#3)。
「自殺でしょう」支払われなかった転落事故の保険金
なかでも熊谷氏が「一番思い入れがある」と語るのが、東北地方の山中で発生した「ある転落事故」だ。
「2018年10月、まず弁護士から連絡がありました。2年半前に30歳の男性がレンタカーで山中を走っていて崖から落ちて死亡したが、レンタカーの保険会社は自殺だと主張し、保険金を支払わなかったのだと。しかし男性の奥さんは『自殺はありえない』と訴えていて、2人の間にはまだ園児のお子さんもいました。確かに小さい子供がいて死ぬのはおかしいなと思いましたが、事故資料を見ないことには分かりません」
資料を見ると、男性が運転するレンタカーは左カーブで曲がらないでそのまま直進し、崖から落ちていた。そこはピンポイントで冬場に雪を捨てるためにガードレールがない箇所だったという。
「保険会社側の鑑定書は、崖の手前から加速してダイブしたという内容。タイヤ痕があり、加速でついたと記されていました。しかし基本的にタイヤ痕は走行中の加速ではつきません。つまりこのタイヤ痕は制御(ブレーキ)の痕なんです。自殺しようとしている人が直前でブレーキを踏むかな、という疑問から、鑑定依頼を受けることにしました」