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――その当時は漫画家になる予定なんて、一切なかったわけですね。

柴田 全然! 会社に入って、結婚して、家庭を持つ……自分ではそんな予定でしたね。でも23歳のとき、真剣に結婚を考えていた男性を寝取られてしまって(笑)。

 でも、もしその相手と結婚していたら、漫画をたくさん描くような人生はなかったでしょうね。『パプワくん』も全7巻じゃなく、1巻で終わっていたかもしれない。出版社のエニックスとは当初、「6話で終わる約束」だったので。人生、どう転ぶかわかりませんよね。

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総部数600万部! 通帳の数字だけが増える生活

――アシスタント経験もない柴田さんが、いきなり漫画家になれた理由は?

柴田 会社勤めを始めた頃、ずっと連絡を取っていなかった漫画家の友だちに「今はイラストレーターとして、ちゃんと会社に勤めているよ」と暑中見舞いを送ったんです。

 後日、その友だちから「亜美ちゃん、ゲーム好きだよね。今エニックスでゲームの4コマを描ける人を探しているみたいだよ」と執筆陣の一人として私を誘ってくれたんです。それがきっかけで「ドラクエ4コマ」を描くことになりました。

『4コママンガ劇場』『南国少年パプワくん』は今も根強いファンがいる(画像:柴田亜美公式Twitterより)

――1991年、ついに『パプワくん』で本格デビュー。元々、漫画を読むのは好きだったんですか?

柴田 松本零士先生とか永井豪先生の描く世界が大好きでしたね。少女漫画なら池田理代子先生や萩尾望都先生。描けるんだったら、そっちの世界に行きたかったですよ。でも私のタッチは、どちらかと言えば少年漫画向けだったから。

――ところがその作風が、見事大ヒット。一足飛びで人気漫画家の仲間入りに。

柴田 あの頃は単行本が売れる時代でしたからね。1冊30万〜40万部は珍しくなかったし、『パプワくん』も全7巻で600万部。ほかの漫画家は外車とか買っていましたけど、私は特に使いみちがなくて、通帳の数字だけが増えていきました。ただ、税金もバカみたいにとられましたけどね(笑)。