そうだとしたら、今日のこの満員の車内にも、そのデータでは利用者としてカウントされない乗客が多数いることになる。「“廃線特需”だから参考にならない」と言えばそれまでだが、北海道の鉄道で、観光客が多用する企画乗車券での利用実態を存在しないものと仮定するのは、明治以来の鉄道路線の存廃を左右する議論としては雑すぎる感が否めない。
列車本数は29年前から半減
長万部駅は全国レベルの知名度を誇る駅弁「かにめし」の販売駅だが、駅構内での販売は絶えて久しく、平成31(2019)年にはJR北海道が特急列車での車内販売から撤退したため、駅前にある販売店まで行かないと買えないことになっている。
出来立ての「かにめし」を手に再びホームに戻ると、次の“山線”倶知安行きを待つ旅行者がホームに行列していて、がら空きの車内に座って「かにめし」を食べながらのんびりローカル線の旅……というわけにはいかない盛況ぶりだ。
だが、他の列車を利用しようにも、何しろ長万部から“山線”へ向かう下り列車は令和4年3月のダイヤ改正時点で1日4本だけ(上りは5本)。
朝6時03分発の次はこれから乗る13時29分発で、その次の16時38分発だと小樽に着く頃には日が暮れてしまう。下り列車で“山線”の旅を満喫しようと思ったら、長万部に泊まって早起きするか、この昼過ぎの列車に乗るしかないのである。
もとからこんな閑散路線だったわけではない。国鉄時代は「函館本線」の名の通り、函館と札幌方面を結ぶ特急・急行列車が頻繁に往来する、北海道の筆頭幹線だった。
私が“山線”に初めて乗ったのは民営化後の平成5(1993)年2月で、すでに“山線”を直通する特急・急行はなかったが、長万部から小樽まで直通する普通列車は1日8本あった。長万部側へは来なかったが、ニセコから札幌や新千歳空港へ直通する展望リゾート特急「ニセコエクスプレス」もほぼ毎日走っていた。
それから29年が経ち、長万部発の列車本数は半減。ニセコからの特急列車も、今年の7~8月の夏休み期間中には1本もなかった(9月のみ、週末を中心にリゾート特急「ニセコ」が“山線”経由で函館~札幌間を1日1往復している)。