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 地元の発展を第一に考えるべき市町村の意見としては、わからなくもない。ただ、そもそもこういう長大な鉄道路線の存廃について、国土全体の中長期的な広域交通ネットワーク形成や緊急時の迂回ルート確保といった社会資本整備の観点から国が方針を主導するのではなく、それぞれ事情が異なる複数の市町村レベルの意思や財政力、そして鉄道会社の経営事情だけを前提に話を進めてしまうことが本当に妥当なのか、という気はする。

短い編成に不釣り合いな長大ホームへの停車が続く

 翌朝、倶知安9時37分発の小樽方面行きディーゼルカーに乗る。ここから小樽までは下り列車が1日13本(他に然別または余市~小樽間の区間列車が4本)運行されていることもあってか、“山線”乗車目的と思しき旅行者は他になく、2両の車内はどちらもガラガラ。巧まずしてソーシャル・ディスタンスが成立している。

車内から見た小沢駅。昭和60(1985)年まで岩内線を分岐する乗換え駅だったこともあり、山間の無人駅らしからぬ広い構内と重厚な跨線橋が目を引く

 小沢を出るとまた急坂を上っていき、10時01分銀山着。盆地を見下ろせる高台のホームは、2両編成のディーゼルカーには不釣り合いなほど長い。客車を何両も連ねた長距離列車が発着した往年の函館本線の栄光を偲ばせるが、実はこの銀山を含め、“山線”内のいくつかの中間駅では、平成12(2000)年に長い編成の列車の行き違いを可能にする設備更新や改良工事が行われたことがある。

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 “山線”の存続論として強く主張されるのが、貨物列車の迂回ルートとしての存在価値である。

 平成12年に有珠山が噴火して室蘭本線が2ヵ月にわたり不通になったとき、函館~札幌間を結ぶ特急列車、当時は健在だった本州と札幌を結ぶ寝台特急「北斗星」や「トワイライトエクスプレス」、それに貨物列車が、“山線”を迂回ルートとして使用した。噴火の影響が長引いて“山線”の迂回運行が長期化することを見越して、中間駅でJR北海道が改良工事を実施したのはこのときだ。

 こうした経緯から、特に貨物輸送については「緊急時の予備ルートとして“山線”を平時から整備しておくべき」とする意見が根強くあるのだが、JR貨物は、“山線”を今後も室蘭本線の迂回ルートとすることに消極的な立場を取っている。

 20年前の有珠山噴火時には国鉄時代の機関車が“山線”を走行できたが、大型化した現在の機関車が走行するには問題が多い、というのがその理由である。JR貨物やJR北海道に緊急時の予備ルート確保の余裕がなければ、広域交通ネットワーク整備の一環として北海道か国が支援するしかないことになるが、そういう話は出てこない。