山登りが好きで、ケンカも強かった父親
父は建設会社に勤めていた。当時は建設業も好景気で、稼ぎはかなりよかったらしい。
体を鍛えるのが好きな人で、肉体労働を終えて家に帰って来ても、それから土嚢袋に砂を満タンにを詰めたものをリュックに入れ、抱えて何㎞もウォーキングしたりしていた。手首にはパワーリストもつけていた。
それから帰って来たと思ったらまた腕立て伏せをしたり、とにかく筋トレは欠かさなかった。ケンカで、相手と3対1までなら負けたことはない、と豪語していた。
後で詳しく述べるし、これが父の死因にもなるのだが、趣味は山登りだった。僕も一緒によく山登りをしたが、途中でなんだか気分が悪くなって、歩けなくなったことがある。そうしたら父は僕をおぶって山頂まで上がった。いくら小学生とはいっても、30㎏くらいは体重はあったと思う。それを背負って山道を3時間も歩いたのだから、やっぱり体力はハンパなかった。
覚えているのは、まだ幼い僕とマキちゃんが父の運転する車に乗っていたら、突然前の車が停まった。僕とマキちゃんは、運転席とつながったベンチシートに座っていたので、それがよく見えた。
車が停まると父は外に飛び出し、前の車に駆け寄った。向こうは運転席の窓を開けた。
そうしたら父はそこに両腕を突っ込み、運転手を外に引きずり出してボコボコに殴り始めた。助手席にいた女性が悲鳴を上げて止めていたが、お構いなしだった。
何があったのかはわからない。きっと前の車の運転手が、こちらを怒らせるようなことをしたのだろう。
そういうトッポい父は見慣れているので、大して驚いたわけではなく、ただマキちゃんと、「ああ、またやっちゃったよ」「前の人、何をしたんだろうねえ」なんて話していた。
それと覚えているのは、もっと小さい頃、父が後輩を逆さ吊りにしていたことだ。川の堤防の上に柵があって、その上から足首を持ってぶら下げていた。下の芝生までは3メートルくらいあったと思う。
後輩の人は何か怒らせるようなことをしたのだろう。
「済みませんでした。済みませんでした」と必死で謝っていた。
そんな父の気質をどこかで受け継いでいるのかも知れない。
小学2年の頃だったと思うが、番長気取りで威張っている奴がいた。僕にちょっかいをかけてきたので、馬乗りになってボコボコにしてやったことがある。以降、そいつは僕にカラんでくることだけはしなくなった。
ワルさをすればぶっ飛ばされるが、そんな父だから、ケンカをしたからといって怒るようなことはなかった。
母からも、「ケンカをしたら負けて帰って来るな」と言われた。「意地でも倒して帰って来い」と。
両親ともにイケイケの家庭だった。