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 父の死が後藤家に与えた影響は大きかった。

 厳しい父で、スジの通らないことをするとこっぴどく怒られた。それは姉に対してもそうだったし、僕なんか男の子だから、何かというとぶっ飛ばされた。しつけは本当に厳しかった。

 父が死んだせいで僕はグレた、なんて言うつもりはない。ただやはり、死んでなかったらずいぶんと違っていただろうなとは思う。ワルをやっても、どこかでストップしていたのではないか。これ以上やったら父に殺される、と思えばそこから先に踏み出す勇気はさすがになかったろう。

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 小さな頃から腕っぷしはそこそこで、ちょっかいをかけてくる奴がいたらぶっ飛ばした。ただ、自分から番を張るようなことはしなかった。上に立って他を率いるようなことは趣味じゃない。ただ問題児童10人くらいで徒党を組んで、練り歩いたりはしていた。

 女の子の悪口を、公園の遊具という遊具に缶スプレーで落書きして回ったこともある。僕ら不良グループに白い目を向けていて、すごく嫌っていた女の子だった。

 ところがそれを近所のおばちゃんが見てて、学校にチンコロ(告げ口)し、バレてしまった。当然こっぴどく怒られ、白のペンキで落書きを消すよう言われた。おかげでその公園の遊具は全部、真っ白になってしまった。

放火事件

 小学校5年だったか6年だったか、学校で放火事件を起こしたこともある。

 その頃には授業をサボってフケることも多くなっていたが、その日も一人、図工室に忍び込んでいた。

 ふと見るとダンボール箱の中に画用紙が詰め込まれていた。棚の上にはマッチもあった。見ていると、まるで画用紙が燃やしてください、と言っているように思えてきた。

写真はイメージです ©iStock.com

 こうなるともう止まらない。

 早速マッチをすって、画用紙に火をつけた。あっという間に画用紙から画用紙に火が移り、ダンボール箱まで燃え始めた。

 僕はなんとなく、燃えるのは画用紙だけでダンボールは大丈夫のように思っていた。だが、そんなわけはない。ダンボールから木の床にまで火は移り、炎はどんどん大きくなっていった。

 ダンボールは入り口のところにあった。そこに火をつけたのだから、部屋から出られない。僕は部屋の奥に逃げた。でもそこから先には、逃げられる場所がない。その部屋は2階だったが、子供が飛び降りるには下までかなり高さがあった。

 炎はどんどん大きくなる。こちらに迫ってくる。

 僕はパニックに陥った。どうしようもなく、ただ迫りくる火を見ていた。

 非常ベルが鳴り響く。感知器が火を感知し、警報を発したのだ。

 と、ブワーッという音がして、火が二つに割れた、消火器が噴射されたのだった。

 続いて大人が飛び込んで来た。

「後藤、大丈夫か」担任の先生だった。

「よし、出るぞ」手を引いて、部屋の外に連れ出された。こうして僕は助かった。

「済みません。済みません。本当に申し訳ありません」

 学校に呼び出された母は、平謝りに謝っていた。

 図工室はほぼ全焼。また全校生徒は一時、校庭に避難する大騒ぎになってしまった。担任の先生から大目玉を食らうかと覚悟していたが、僕がケガをしていなくて安心したようだった。

「死なずに済んで、よかったじゃないか」

 この先生のことが僕は好きだった。

 中学校に行っても周りにこんな先生がいたら、僕のヤンチャにも歯止めがかかっていたかも知れない。

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