父は本当に、僕と岩登りできるようになるのを楽しみにしていたようだ。
家の近所の公園に僕を連れて行き、巨木を使ってロッククライミングの練習をさせたりしてくれた。父が先に木に登ってザイルを垂らし、僕はそれをつかんで続いて登る。そのくらいの木だったら、僕だって難なく登ることができた。
後藤家を襲った「父の死」
そんなある日のことだった。1996年10月27日。僕は小学校4年生になっていた。
いつものように男体山に登った。父と僕、そして父の後輩の弟というおじさんと一緒だった。
いつものように大人2人はロッククライミングを始め、僕一人で山頂に登った。お弁当を食べてもうそろそろかなと見当をつけ、崖のところに戻った。
おじさんが先に上がって来た。
ところが2人でしばらく待つが、いつまでたっても父が上がって来ない。
「おかしいな。こんなに遅くなるわけはないんだが」
おじさんも心配そう。
「お父さーん」崖の下へ大声を放つが、なんの反応もない。見下ろそうとしても崖のふちが出っ張ってて、下の様子は見えないのだ。
「いくらなんでも遅すぎる」
おじさんがザイルを手に取ってみると、簡単に持ち上がった。軽い。人がぶら下がっていたら体重がかかるから、こんなに軽いわけがない。するするとたぐるとザイルは全部、手元に上がってきた。
「ちぎれた跡はない。体がすっぽ抜けちまったのか」
「父さん、落ちちゃったの?」
あわてて2人、崖の下まで降りた。そこにも父の姿はなかった。
山麓まで降りて、警察に電話を入れた。
母にも連絡すると、その日のうちに山まで駆けつけて来た。その日は麓の近くの旅館に泊まった。
「父さん、大丈夫だよね」
「そりゃそうよ。あの人が死ぬわけないじゃない。殺したって死にそうもない人だもの」
僕もそう思った。あの父が死ぬなんてあるわけがない。想像もつかない。母の言葉に安心して、その夜は眠りに就いた。
ところが翌日、父の遺体が発見された。
警察からの連絡を受けて泣きじゃくる母の姿は、今でも鮮明に覚えている。
父も母も短気で怒りっぽく、よくケンカしていた。
「バカ野郎、死んじまえ」なんて母が父に喚くこともあった。でもやっぱり、本当は好きだったんじゃないか。母の泣き顔を見て、そんな見当違いのことを考えていた。
だってやっぱり、あの父が死んだなんてどうしても信じられなかったから。現実感が湧かず、わけのわからないことを考えるくらいしかできなかったのだ。