――そのプレッシャーをどう乗り越えたんでしょう?
高見沢:やっぱり『メリーアン』(1983年)との出会いですね。アルバム用に作った曲なので、シングルカットしたディレクターの先見の明もあったと思います。
デビュー曲『夏しぐれ』は筒美京平さんと松本隆さんに曲を作ってもらったんです。その後、アルバム制作のときに、初めて僕がメロディーを作ってみたんですよね。そうしたら、筒美さんが「君、いいセンスしてるね」とおっしゃってくれて。その一言は励みになりました。
2人が気に入る曲を作りたい
――高見沢さんが曲を作るとき、意識していることはありますか?
高見沢:一番は、2人が気に入る曲を作りたい、ということ。それが僕の使命だから。まず2人が気に入ってくれると、マネージャーやスタッフ、周りも気に入ってくれるんだよね。人の熱伝導って言うのかな。それがどんどんどんどん伝わって、ライブもいいものになっていく。反対に、これは少しダメだったかなっていう反応も、何となく雰囲気で分かる。坂崎用、桜井用、自分用と、それぞれに合った曲を客観的に作る技術は、この48年の間でできるようになったのかもしれません。
――お2人に伝えたいことはありますか。
高見沢:坂崎は、ミュージシャンシップが一番ある人間だと思います。アコースティックギターもすごいし。俺はあいつからフォークやアコギを教えてもらったし、あいつが俺をこのプロの道に引っ張り込んだようなものです。そういう意味では、坂崎には感謝してます。
桜井はね、天才なんですよ、天才。コロナ禍で2年間ツアーが無かった間、あいつは何してたと思う? 家にいて酒を飲んでテレビを見て笑ってるだけなの! それが7月の夏のイベントで、声がボーンと出るんですよ! ボイトレするわけでもなく、できてしまう。もう天才なんです。
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