大学時代は先生になろうと思っていた
――その中間テストから卒業したい、と思ったことはないですか?
高見沢:ああ、それはなかったかな。そこだけは真面目というか几帳面なんだな。そこだけA型なのかな?
――プレッシャーがあっても、でしょうか?
高見沢:そのプレッシャーはね、グループでいると3分の1になるんですよ。そして、楽しいことは3倍になるでしょ。あとは、最終的には歌っているメンバーの責任だと思っています(笑)。
――たとえば、音楽以外の道を考えたことはありましたか?
高見沢:大学時代は、教職過程を取って、父親の後を継いで先生になろうかなって思っていたんです。でも、こんな先生がいたらまずいかな……と思っているうちに、もう還暦を過ぎて定年になってしまいました(笑)。桜井と坂崎に出会って引っ張られて音楽の世界に入ったけど、それがなかったら、たぶん何もできませんでした(笑)。
中学時代の挫折
――『メリーアン』がヒットするまでデビューから9年ありますが、先が見えない状況も3人だから乗り越えられたんですね。
高見沢:ずいぶん昔の話だけど、中学時代に部活でバスケットをやっていて挫折したんですよ。結構強いチームで、最後の試合、前半は10点差で勝っていたんです。でも、後半に1点差で負けてしまった。それがかなりショックで……。
精神力が弱いとか、コーチにも色々と言われまして。卒業文集にもバスケットの話を書いたんですよね。「中学生最後の夏の試合はこんな風に終わったが、バスケットコートは今後、何か違う形で自分の前に現れるだろう。僕はそこに邁進していくしかない」って。それは先生に褒められました(笑)。
最後の試合の悔しさや身長が180cmないことなど、理由はいくつかあったんですが、高校に入るときにバスケットから離れたんです。でも、そこで辞めたことが挫折として心に残っていて。だから、音楽を途中で投げちゃうとまた同じ後悔をすると思ったんです。音楽だけは必死にやろうってずっと思っていました。
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