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「糾弾」ではなく「要請」

 部落民にとってまさに最悪の事態だが、部落解放同盟の対応はあまりに鈍いものだった。

 部落解放同盟の中央本部が本格的に動き始めたのは、Mが『全国部落調査』の書籍を出版すると告知した1カ月後のことだった。

 3月3日の全国大会で、「現代版部落地名総鑑事件糾弾闘争本部を立ち上げ」、「インターネットにおける差別事件に対するプロジェクトチームをつくる」ことを決議したのだが、その2カ月前にはサイトで同書のデータがすべて公開されていた。

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 その全国大会の当日、中央本部事務局はMに対し、〈強く抗議をするとともに、発行の停止と撤回を求める〉とメールで要請。さらに5日後には中央本部の西島藤彦書記長が直接、Mと面談したのだが、そこで為されたのは、サイトに対する「糾弾」ではなく閉鎖の要請だった。“確信犯”であるMは、当然のごとくこの要請を拒否した。

 1975年の「地名総鑑事件」で、解放同盟は200社以上の企業に対し、それこそ組織を挙げ、徹底した糾弾闘争を行ったが、往時の姿はもはや見る影もなかった。

 部落差別がネット上で本格化する前から、激しいヘイトスピーチを浴びていたのは、在日朝鮮人をはじめとする在日外国人だった。レイシスト(人種差別主義者)たちはやがて、路上で街宣活動をはじめ、さらには子供が通う学校まで標的とするようになった。

 しかし、当事者である在日朝鮮人や日本人らによるカウンター(ヘイトに対する対抗言論・行動)がレイシストたちを抑えこみ、さらにはそれが「ヘイトスピーチ解消法」の成立や、大阪市や川崎市での「ヘイトスピーチ規制条例」の施行に繋がっていく。また近年、セクシャルハラスメントや性的暴行の被害者が、SNS上で告発する「#MeToo」運動や、性的マイノリティーによる「LGBTQ」の啓発活動が、社会を動かしつつある。にもかかわらず、「日本最古のカウンター集団」ともいえる全国水平社を祖とし、最も長く反差別の闘いを続けてきたはずの解放同盟はなぜ、ネット上の差別に対し、これほどまでに鈍いのか。

「Mが、部落の所在地や地名をネットに上げ始めた09年ごろから、鳥取や滋賀などでは、県連の役員が直接、Mに抗議し、地元法務局への申し入れを行うなど、県連レベルでの対応はしてきた。しかし組織全体としての取り組みができていなかったことは事実で、それが結果的にMを増長させ、エスカレートさせてしまった。

 残念ながら幹部も含め、同盟員のほとんどがネットやSNSを理解していない。というか、ネット自体を見ないんです。見ないから、どれだけ大きな被害を受けているのか分からない。そして『全国部落調査』が書籍で出版されると聞いてはじめて、事態の深刻さに気づいたということです」(前出・川口氏)

「どこ」と「だれ」が本質

 中央本部は2016年3月以降、同書の出版差し止めと、サイトへの掲載禁止を求める仮処分を横浜地裁に申請。また前述したように、4月に解放同盟と同盟員も同様の訴訟を起こしている。

 一方のMらは〈学問の自由や人格権などを侵害された〉などとして反訴。だが、約5年半に及ぶ訴訟の結果、前述したように、東京地裁はMらによる「プライバシー侵害」を認め、『全国部落調査』の出版とサイトでの掲載禁止を命じる「解放同盟側勝訴」の判決を下した。

 しかし判決は、解放同盟側が主張していた憲法第14条に基づく「差別されない権利」を認めず、地区の公表を「プライバシー侵害」の観点のみで判断。Mが公開した41県の地区のうち、原告がいない県、また出自を明かし活動する解放同盟幹部の出身県など、計16県の地区について被害が認められないとして、救済対象から外したのだ。

 部落差別の本質は「どこ」と「だれ」である。

 被差別部落が「どこ」なのか公開されれば、被害を受けるのはそこで平穏な生活を送る部落民である。なぜなら次は、「だれ」という差別意識に満ちた好奇の目や詮索に晒されるからだ。「どこ」が公開されることで生じる被害に、原告の存在の有無など何の関係もない。東京地裁の判決は、部落差別の本質を理解しているとは言えず、司法による差別被害者の救済の限界を露呈した。

「誇りと残念な思い」

 新たな局面を迎えるなか、部落解放同盟はどう立ち向かうのか。トップである組坂繁之・中央執行委員長を福岡に訪ねた。

 福岡県内の被差別部落に生まれた組坂氏は大学卒業後、27歳で解放運動に身を投じ、福岡県連、中央本部書記長などを経て、1998年から中央執行委員長を務めている。

 以下、組坂委員長との一問一答である。