ネット上の深刻な部落差別
1974年、兵庫県養父市の県立八鹿高校に通う被差別部落出身の女子生徒と交際していた男性の父親が、息子に交際をやめさせようと出した差別的な内容の手紙が発覚。これに端を発した糾弾闘争が、日本共産党系の教職員組合と解放同盟との対立に発展する。数百人の同盟員が教職員をとり囲んで糾弾する事態となり、暴力事件も発生。教職員46人が負傷し、同盟員13人が監禁や強要、傷害の容疑で逮捕、起訴され、有罪判決を受けた。
また2000年代に入ってから、後述する「同和対策事業」をめぐる不祥事が相次いで発覚。「同和利権」と大々的に報じられ、「利権集団」というイメージが、今なおつきまとっている。
実は、これらは、部落解放の運動自体が、「部落民自らによる差別からの解放」というワン・イシューで結集した「大衆運動」であり、それを担う解放同盟も同盟員の思想の左右を問わず、さらにはヤクザからインテリまで様々な人々が集う組織となったことに起因する。こうした運動の性質や、組織の成り立ちもあって、この団体の全体像は見えにくい。
その部落解放同盟が2022年3月3日、前身の水平社創立から100周年を迎える。だが、その大きな節目を前にして、新たな問題に直面している。その一つが、インターネットにおける深刻な部落差別問題である。
2021年9月27日、東京地裁で、注目をあつめた訴訟の1審判決が言い渡された。
〈本件地域一覧は、かつて被差別部落があったとされる地域の所在を明らかにする情報を(ネット上に)掲載したものであるところ(中略)ある個人の住所または本籍が本件地域内にあることが他者に知られると、当該個人は被差別部落出身者として結婚、就職等の場面において差別を受けたり、誹謗中傷を受けたりするおそれがあることが容易に推認される。(中略)したがって、そのプライバシーを違法に侵害するというべきである〉【( )内は筆者補足】
関係者やメディアの間で「ネット版 部落地名総鑑事件」と呼ばれる訴訟である。2016年4月、部落解放同盟と同盟員234人は、川崎市で出版業を営むMらに対し、「部落差別を助長する」として、全国の被差別部落の所在地などを記載した書籍の出版とネット上での公開の禁止などを求める訴えを東京地裁に起こしていた。
部落内の写真を掲載
「ネット版 部落地名総鑑事件」とはいかなるものか。
発端となった「部落地名総鑑事件」は1975年にさかのぼる。被差別部落の所在地や地名、戸数や主な職業などが記載された図書が興信所などによって密かに作成され、企業や個人に高額で売買されていたことが発覚。購入目的は、会社採用や結婚における「身元調査」であり、国会でも取り上げられるなど、当時、大きな社会問題になった。
1935年に被差別部落の実態を内務省が調査し、翌年にまとめた報告書『全国部落調査』を基に作成したといわれるが、今度はそれが、Mらによってネット上でばら撒かれたのである。
原告の一人で、部落解放同盟の「ネット対策プロジェクト会議」で事務局を担う川口泰司・山口県連書記長(43)によると、被差別部落に対するネット上の差別的な書き込みは2000年前後から始まり、2005年ごろには部落問題を発信していた人たちのホームページに、匿名の誹謗中傷が集中する、いわゆる“荒らし”行為が多発したという。
川口氏が語る。
「局面が変わったのが2007年、『B地区にようこそ』という悪質なウェブサイトが出てきたことです。愛知県内の部落の所在地が地名とともにGoogleマップに貼り付けられ、部落内の様子を撮影した写真や動画も掲載されたのです」
後にこのサイトの開設者は名誉毀損で逮捕、起訴され懲役1年(執行猶予4年)の有罪判決を受けることになるが、その間にネット上に登場してきたのが、前述の「ネット版 部落地名総鑑事件」の被告Mだった。川口氏が続ける。
「Mの登場で、ネットにおける部落差別の“質”が変わりました。Mは、2014年5月にウェブサイト『同和地区Wiki』を開設し、どこからか前述の『全国部落調査』を入手。そして2016年1月、同書のデータをサイトで公開した。Mの一連の行為によって、全国5300の部落の所在地と地名などがネット上に晒され、さらにコピーサイトによって被害は拡大。まさに40年前の地名総鑑事件の再来でした」
そして2016年2月8日、Mはホームページで『全国部落調査』の復刻版を書籍化し、4月1日に販売すると告知する。
被差別部落出身者にとって、自らの出身地や居住地を特定され、晒されるという行為は最大の恐怖だ。しかも、その情報が一瞬のうちに広範囲に拡散し、一度公開された情報は二度と回収できないネット上で行われたのである。