高倉容疑者の「2つの顔」が形成されるまで
高倉容疑者は四日市市の比較的裕福な家庭で生まれ育った。数年前に亡くなったという父は寿司屋、母はフランス料理屋を経営。両親がいずれも夜職だったため、高倉容疑者は小学生の頃から、留守番を任されるいわゆる“鍵っ子”だったようだ。小学校の頃の同級生の1人は、良くも悪くも目立っていたという高倉容疑者の印象をこう話す。
「高倉容疑者は宏恵なので、『ひーちゃん』と呼ばれていました。通っていた小学校は地元の坊ちゃん・お嬢様が集う私立の名門だったのですが、ひーちゃんはおてんばな性格で、明らかに他から浮いていました。小さい頃は顔にそばかすが多くて、からかわれることも多かったのですが、『そばかすのある子の方が将来美人になるんや!』と負けずに言い返していた記憶があります」
幼い頃から気が強くて見栄っ張りな性格だったと振り返る一方で、両親の不在からか時折寂しげな面持ちをのぞかせることもあったようだ。
大人の社交場に出入り…卑猥な言葉を吐き、股の間を男子にくぐらせて
「夜になると寂しいからか、よく同級生の男子に電話をかけてくるので学校で問題になったこともありましたね。母親が経営する店でピアノを弾くこともあったらしく、大人の社交場に出入りしていたからか、年齢の割にませたところがありました。放課後に駅の公衆電話から大人の女性になりすましてテレクラにイタズラ電話していたのも覚えています。テストのカンニングもよくやってましたね(笑)。小学生らしくない卑猥な言葉を吐いたり、自分の股の間を男子にくぐらせる突拍子もない遊びをしていたこともあって、周囲の女子はみんな引いていましたよ」
高倉容疑者のこうした言動は周囲から浮いてしまうには十分だった。同級生の女子たちから“苦情”が生じることも多く、教師からの評判も芳しくなかったようだ。勉強は「学年最下位をとるほどの大の苦手」だったといい、エスカレーターでの進学は叶わず、結局地元の公立中学校・高校へと進学した。そんな高倉容疑者の取り柄は音楽だった。高倉容疑者の別の同級生が話す。
「足が速くて運動も得意でしたが、なんといっても彼女の特技はクラシックバレエとピアノ。合唱コンクールでは指揮をやって相当目立っていましたよ。高校時代は母親の意向もあってか、毎年宝塚を受験していましたが、結局合格はできずじまい。高校卒業後は、名古屋の音大に進学したと聞いてましたが、15年程前から地元でコンサート開催のチラシを見るようになりました。こんな田舎なので“イタリア”と聞くだけで『すごい!』と騒がれてました」