24時間営業、年中無休、メニューは300種類。「大宮ナポリタン」発祥の地として知られ、半世紀もの間、埼玉の人たちに愛される喫茶店がある。その名は「伯爵邸」。オーナーの宮城正和さんはNHKの朝ドラ「ちむどんどん」の舞台でもある山原(やんばる)の出身で、15歳で単身上京し、新宿のウェイターから埼玉の経営者へと転身。縁もゆかりもない埼玉で孤軍奮闘してきた宮城さんの半生に迫る。(全2回の2回目/前編から続く)
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パイナップル畑の“ど真ん中”は嫌
――24歳の時に大宮で「伯爵邸」を開店されたとお聞きしましたが、故郷の沖縄から直接、埼玉に出て来られたのでしょうか?
宮城さん いいえ。まず東京の高校に進学したいと15歳で上京しました。生まれも育ちも沖縄北部の山原(やんばる)の大宜味村。当時、父が仕事で那覇にいたので、できたばかりの興南高校に進学しようと思って見に行ったら、パイナップル畑のど真ん中で……こんなところ嫌だと(笑)。
――興南高校といえば、今年も甲子園に出ていましたよね。
そう。だいぶ変わったよね。今はパイナップル畑ではなく住宅地になってるよ。でも当時は、将来、何か商売をやりたかったから、それならこんな小さな島で何かやるより、大都市に行きたかった。ふるさとは好きだけど、やっぱり職業の選択も限られちゃうでしょ。それで、父に「大学に進学するつもりだから、高校は東京に行かせてほしい」とお願いして、中学卒業後、大田区のアパートを借りて一人暮らしを始めたんです。
15歳で上京、新宿のウェイターに
――15歳で遠く離れた東京での一人暮らしはさみしくなかったですか? その頃、まだ沖縄はアメリカの統治下でしたよね?
沖縄返還は1972年の5月ですから、まだ本土に行くにはパスポートが必要でした。東京で一人暮らしと言っても、叔母さんや姉も上京していたので、さみしくはなかったです。時々、様子を見に来てくれました。
――では、すぐ東京生活にもなじめたんですね?
そうね。でもやっぱり仕送りがあっても、家賃やそのほか、東京はお金はかかるので、放課後のアルバイトを探したんです。新宿の喫茶店でウェイターを募集していたので、面接を受けに行ったの。そしたらオーナーさんが台湾の人で、喫茶店どころか、5階建てのビルを1棟、経営していて。
1階はピザハウス、2階は喫茶店、その上はキャバレーやクラブをやってたね。喫茶店に来たお客さんのお使いで近所のお店に顏を出すでしょ。そしたら薬局のおばちゃんが、「いつも頑張ってるね。ほら、リポビタンDをあげるよ」とくれたりね。