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なぜ手足の一部や、指のない子供がいるのか?

「安徽省の惨状をぼくが最初に聞いたのは、地理の教師からだった。3年連続の自然災害が中国を襲った最中の1961年に彼はそこの大学にいた。その時安徽の人々は草の根や、樹皮や、人肉まで食べたという。ぼくは半信半疑だったが、いま車窓から安徽の痩せた、荒れ果てた畑を見て、それが嘘でないことを知った。立木はみんな皮をはがれているし、時々沿線に死体が転がっている。子供の足もあった。そして駅にはボロを着た飢えた人々が群れているのだ。ぼくが堅くなったパンを窓から投げると、群衆はそれを奪い合い、時には頭から血を流して争った。『これが新しい中国なの?』と女生徒の一人が泣き出した」

 ケン・リンは安徽省の省都・合肥の近郊に姉がいたので、会いに行った。街には乞食の群れと多くの子供。子供の親は街へ物乞いに行ったまま帰ってこない。

「手足の一部や、指のない子がいるので、わけを聞くと、このほうが人の同情を惹くからと両親に切り落されたのだといった。

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 警官もここには入ってこず、時々軍のトラックがやってきて、兵士が公園を回って子供たちを突っついてみて、死んでいるとわかるとトラックで運んで行くのだということだった。彼らのこの苦しみを誰のせいに、あるいは何のせいにしたらいいのか、ぼくには判らない」

 ケン・リンら紅衛兵代表8人は続いて山東省に入った。

「安徽よりいいとはいえない状況だった。人肉を食う風習はいまでも盛んだという噂で、兵士たちさえときには麦とコウリャンの団子で命をつないでいるということだった。

 ぼくらは食糧を切らしたので、山東省の小駅で肉饅頭を買い、車中で食べだした。

「みんながのぞくと、それは人間の爪だった」 写真はイメージです ©iStock.com

 と、突然女の子の一人が悲鳴をあげた。

『これは何?』

 みんながのぞくと、それは人間の爪だった。とたんにぼくらは人食いの噂を思い出した。ウウッと、妹妹がいきなり食べたものを吐いた。ぼくも胸がむかむかしてきた。みんな蒼くなって、震えながら嘔吐しだした」