専業主婦の「みづほ」は食費と日用品の予算月5万円の中から2万円を貯金している。1枚120円の鶏胸肉を唐揚げにし、2つで26円の卵と19円のもやしで炒め物を作り、1食200円以下で十分満足のできるおかずを作るような日々。何もかもを節約して節約して、それでも生活にハリがあるのは夢があるからだ。「ハワイ旅行をしてルイ・ヴィトンの長財布を買う」。ヴィトンの財布には青春時代のほろ苦い思い出がある。そんな思いを払拭して人生を変えるためにも、それはとても大事な夢だ。
2年半頑張ってついに夢を叶えるが、その後に思わぬ出来事が起こり、一度手に入れた財布はみづほの手を離れて、同じように苦闘している人々の手から手へと彷徨(さまよ)うことになる。大学に進学したものの生活費が続かず中退、今は居酒屋のバイトをしながら情報商材のセールスで一旗あげようともがく「水野」。株の取引にはまり大損した挙句、せっかく就職できた会社も追われて身を持ち崩す「野田」。奨学金を借りて真面目に大学に通ったもののリーマンショック後の就職難で正社員にはなれないまま、返済の負担に喘ぐ「麻衣子と彩」。そして、ツイッターでのお金にまつわるツイートをきっかけにライターとして世に出るが、やがて行き詰まり、生き方を見失った「善財」。物心ついた時にはもう日本は不景気。景気の良い日本を見たことがない世代の人々だ。
彼らは決して怠けていたわけではない。むしろみな必死で水面から顔を出そうと努力している。そう、彼らは社会に出る第一歩を、水面下から始めなくてはならなかった世代なのだ。
登場人物は皆それぞれに、不運や理不尽を背負っている。が、それを社会への怒りに転じるよりも、己自身の努力へと心を砕く姿が切実だ。自分でなんとかしなくてはならない。社会は助けてはくれないのだという諦めなのか。恨んだり怒ったりする暇があるくらいなら、必死に水面から顔を出して呼吸し続けなくては生き残れない。とにかく今は、安心して息が吸える所まで這い上がることが先決なのだという切実さだ。
細部にわたって描かれる生活のディテールが、その切実さをリアルに読者の胸に突きつける。ページをめくりながら、どんどんこちらの胸もヒリヒリとして、切なくなったり不安になったり、時には投げやりになったりするのだ。ルイ・ヴィトンの長財布は、生き残ろうともがく人々にとって、希望であったり、励ましであったり、流されそうになるのを踏みとどまらせるアンカーであったりする。思いもよらない方向へと人生が転じている人々の間を、踊って渡り歩いていく財布は、最後にあるところに行き着くのだが。「ああ。それでも人生には希望はあるんだ」とそう思わずにいられないところへと誘われる物語なのだ。
はらだひか/1970年、神奈川県生まれ。2007年「はじまらないティータイム」ですばる文学賞を受賞。著書に『彼女の家計簿』『三人屋』『ランチ酒』『三千円の使いかた』『そのマンション、終の住処でいいですか?』『古本食堂』など。
あさぎくにこ/1962年、東京生まれ。テレビ、ラジオで活躍するほか、ウェブや新聞で書評を担当。著書に『生命力を足すレシピ』など。