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「怖い話は『聞きたくない!』と思うくらい苦手だった」それでも私が“怪談と結婚した女”として怪談師デビューした数奇な運命

怪談師・深津さくらさんインタビュー #1

2022/10/10

もともと怪談や怖い話は苦手だった

――昔から怪談が好きだったのですか?

深津 いえ、好きになったのは大人になってからですね。子どもの頃はむしろ苦手で……。周りの人が怪談で盛り上がっていたり、テレビで怖い話特集をやっていたりしたら、「聞きたくない!」と思っていたくらい。

――意外です。では、子どもの頃は何が好きだったのでしょう。

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深津 とにかく絵ばかり描いている子でしたね。実は私、義務教育の9年間はほぼ不登校でした。高校にも通っていなくて、大学は高卒認定試験を受けて入っています。

 学校に行ってなかった小中高の12年間は、絵を描いたり、美術館に行ったりする時間に費やしていました。

 

小学1年生で不登校になったきっかけ

――なぜ不登校に?

深津 小学校1年生の時に担任だった先生が、かなり独裁的な人で……。先生が「正しい」と思うことから少しでも外れた行動をすると、クラス全員の前で怒られるような環境でした。私が太陽の絵を赤いクレヨンで塗りつぶしたら、「太陽はオレンジでしょ!」と突然怒鳴られたこともあります。

――それは理不尽な……。

深津 それでも、しばらくは頑張って学校に行っていたんです。でもある時、学校から家に帰った途端に涙が止まらなくなってしまって。自分でも精神的な限界が近いことに気付いて、1年生の秋には全く学校に行かなくなりました。

 不登校になって、家に籠もって絵を描いてばかりいたから、周りからいろいろ言われるようにもなりました。このままじゃバカになるとか、ちゃんとした大人になれないとか。もちろん、どれも私を心配してかけてくれた言葉だと思います。でも、当時の私はその言葉を聞いて、自分のことをとても罪深い存在のように感じてしまったんです。

 

――ご家族は心配されたのではないでしょうか。

深津 母にはすごく助けられましたね。母は私に、「罪悪感や劣等感を抱く必要はない。『学校に通う』という選択をしなかっただけで、あなたは絵を描いたり、本を読んだり、勉強したり、ちゃんと日々を過ごしている。あなたの人生には何の汚点もない」と声をかけ続けてくれました。私が自分の気持ちを大切にして前に進めたのは、母の存在が大きいと思います。

――お母さまと良い関係を築かれているのですね。

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