ありのまま伝えることが「得体のしれない不気味さ」につながる
――今回教えていただいたお話もそうですが、深津さんが語る怪談は“オチ”があるわけではないですよね。
深津 私は自分の体験ではなく、人から聞いたものをお話しさせていただいています。その際、体験者が見たもの・感じたものをなるべく脚色せず、ありのままに伝えることが「得体のしれない不気味さ」につながると思うんです。
「もっとこう表現したほうが怖いだろうな」「解説を入れたほうが、聞いた人はスッキリするだろうな」と思うこともありますが、それをしてしまうと“体験そのものの価値”が損なわれてしまう気がして。
体験者に起こった事実だけを伝え、「結局、何が起こったんだろう」と聞く人が想像する余白を残す。そうすると、同じ話でも聞き手によって感じ方も解釈も異なることがあるんですよ。それも、怪談の面白さのひとつだと思っています。
「普通という基準にとらわれる必要はない」と教えてくれた怪談
――深津さんは各所で「怪談に救われた」とおっしゃっていますよね。その理由を教えていただけますか。
深津 自分の人生を振り返ってみると、人に対して心を閉ざしていた時期がものすごく長いんです。美大に入って人並みに彼氏や友達ができてからも、小中高と学校にほとんど通っていないコンプレックスがあるから、「今まで“普通”じゃなかったから、これからは“普通”にならなきゃ」と仮面を被っていた時期もあります。幼少期に普通のレールを外れてしまったからこそ、人一倍、普通であることに敏感だったんですよね。
でも怪談に出合ってから、普通って曖昧なものだなと思うようになったんです。そもそも怪異は、普通ではないものに対してのアプローチだから。体験も解釈も人それぞれなんですよね。
――確かに、怪談そのものが“普通”じゃない。
深津 怪談には常識が通用しないから、怖いし不思議。でも、実際に目の前で起こっているのだから、普通という物差しがいかに狭いものか、怪談を聞くたびに感じます。だから怪談を通して、「普通という曖昧な基準にとらわれる必要はない。私は私でいい」と思えるようになりました。