「聖子と沙也加ちゃんはアーティストとして、そして人間としてもまったく対照的でした」
そう語るのは、歌手・松田聖子を発掘した“生みの親”であり、『青い珊瑚礁』『赤いスイートピー』をはじめとする1980年代の楽曲をプロデュースしてきた若松宗雄氏(82)。実は若松氏は、昨年12月に亡くなった聖子の愛娘・神田沙也加さんを預かり、芸能界デビューさせている。
「若松さん。娘がね、芸能界に入りたいって言っているの」
若松氏のもとに聖子から相談があったのは、1999年頃のこと。話を詳しく聞いていくと、聖子が沙也加さんの芸能界デビューを快く思っていないことが伝わってきた。芸能界の厳しさを体験していることもあってか、「そんなに甘い世界じゃない」と娘を言い聞かせたという。
「じゃあ、沙也加の面倒をみてやってください」
「聖子、そんなふうにダメダメって一方的に言っちゃいけないよ」
若松氏がそう諭すと、聖子は「じゃあ、沙也加の面倒をみてやってください」と、娘の行く末を若松氏に託したのだった。
当時の沙也加さんはまだ中学2年生。若松氏にすぐになつき、事務所によく遊びに来るようになったという。
「夕方、制服姿の沙也加ちゃんが現れると、私の仕事場に2人で座ってお喋りをしたものです。彼女はその日に学校であったこと、芸能界のことを含めて将来の夢を聞かせてくれました。
沙也加ちゃんは、話し相手が出来たことが嬉しかったのでしょう。週に3回程度、顔を出してくれました。友達が多いタイプではなかったですし、母親の聖子は自分の仕事に精一杯。母と娘としての時間は、ほとんど取れなかったはずです。父親の神田正輝さんとは会っていたようですが、沙也加ちゃんは年頃の女の子らしく、『ママは私の気持ちをなかなか理解してくれていないのかなあ』と、不安な顔をすることもありました」