「おいおい、相手は大学生だぜ」
でね、おいらは何を思うのかというと、「おいおい、相手は大学生だぜ」ということです。処分が生ぬるいだの、不当であるというメールなら分かります。が、「おたくの教育方針は間違っている」というメールは、それはないだろうと思うのです。だって、20歳過ぎた大学生が犯罪を犯した時に、「教育方針」もないだろうと思うのですよ。
今年、関西の大学の大バカ者が、広島の平和の折り鶴を燃やしたでしょう。で、その学生が通っている大学の学長が謝罪のために広島まで行って関係者に頭を下げたでしょう。
で、マスコミは、基本的には好意的に評価したでしょう。学長も、「しっかりとした教育方針でやっていく」というようなことを述べたわけです。
学長には、本当に同情しますが、しかし、広島まで行って謝罪してはいかんと僕は思うのです。大学にいたまま、
「大学としては、まことに遺憾なことではありますが、なにせ相手は大学生。いい年をした大人です。ここで、もう一度教育しなおすとか、正しく指導するなんてことを言うと、相手を子供扱いすることになり、それは、大学としては自殺行為のコメントになります。もちろん、大バカの学生は厳しく処罰します。以上」
てなコメントを出すのが正しい道だと思うのです。
広島まで行ってしまうのは、親代わりの行動です。が、大学生に対して、親代わりを務めるのは、そしてそれが日本の常識になるのはとてもまずいのです。
「彼らを子供扱いするのをやめたまえ。そうすれば、彼らは子供をやめるだろう」という言葉があります。出典はもう忘れましたが、僕はこういう事件があるたびに、この言葉が浮かびます。
ずっと子供扱いして、そして、子供だ子供だと嘆く。ずっと子供扱いして、少しも成長しないと嘆く。それは、無茶なことだと思うのです。
父親の電話以来、来なくなった女子学生に対して、僕はただの教官ですから何も言えません。言う権利もありません。ただ、その将来を心配するだけです。彼女はこれからも、大変な時は、父親と母親(その前に母親からの電話もあったのです)に電話してもらうのだろうか、と。
(2003年8月)
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