だがざわめきと入れ替わるように劇場が暗転し、85分間の映画が上映された後、再び劇場に客電が灯ると、客席の雰囲気は一変していた。映画の中で永野芽郁と奈緒が演じるシイノとマリコは、原作のメッセージを損なうことなく、同時代の女性像として生き生きとスクリーンの中に表現されていたからだ。
俳優たちの演技に加え、加えられたオリジナルのシーンも原作のメッセージを損なうことなく、見事な劇場映画に仕上がっていた。後日、カナダで行われたファンタジア国際映画祭で、日本映画『マイ・ブロークン・マリコ』は最優秀脚本賞を受賞することになる。
弱冠22歳にシイノ役に合うのか
『マイ・ブロークン・マリコ』を映画化するなら主演は誰がいいか、というのは原作の出版以来、多くのファンが想像し、多くの映画関係者がプランを立ててきたことだろう。その中にはもちろん「日本映画で実写化なんかしなくていい、どうせ実力のない若手が演じて台無しになるんだから」というシビアな声も存在する。
筆者も映画化するなら30歳前後の女性が過去を振り返る物語として描かれることになるのではないかと思っていた。だから「主演・永野芽郁」が発表された時に「弱冠22歳(当時)の永野芽郁が果たしてシイノ役に合うか」という不安を感じたのも事実だ。
永野芽郁が若手女優の中で優れた演技力を持っていることは定評がある。過去4本の主演映画、および朝の連続テレビ小説『半分、青い。』や『3年A組』などのドラマ出演にいたるまで、作品の興行成績や好き嫌いはともかく、彼女の演技力に疑問符がついたことはない。だがその俳優としての資質は、傷ついた激しく鋭い怒りを表現するタイプではないように見えた。
優れた演技力とは別に、永野芽郁の声質には独特のソフトな柔らかさがある。それはナイフのように鋭く突き刺さる声ではなく、水彩画の絵筆やクレヨンのように丸く柔らかく感情を描くことができる声だ。
親友の父親に包丁をつきつけ、遺骨を抱えて失踪するシイノに合うだろうか、という不安はあった。ある意味ではガーリッシュな、泰然自若とした魅力が永野芽郁の持ち味で、『地獄の花園』で演じた主人公の最強能力もそうしたノンシャランとした雰囲気とのギャップで光っていた。
タナダユキ監督が永野芽郁を主演に選んだ理由
「わたしにはシイノがどうしてもかけ離れた存在に見えまして。どこか通じる部分もあると思うのですが、シイノが突発的に動くところや荒々しさの中に繊細さがあるようなところは自分の感覚にはなく、きっと世間の皆さんのイメージにもないと思うので、そこに飛び込んでいけるのかという不安がありました」
公開後のインタビューで驚くほど率直に永野芽郁が語る言葉は、俳優としての彼女が自分を「世間の視線」で見る客観的な批評眼を持っていることの裏返しでもある。だがタナダユキ監督には、必ずしも強い女のイメージではない永野芽郁をキャスティングする理由があった。