文春オンライン

親友の父にナイフを突きつけ、遺骨を奪う…「私にはできません」から一転、永野芽郁がハードな役を引き受けた“意外な動機”

CDB

2022/10/09
note

 7月11日の最速試写会の場に登壇したのはタナダユキ監督のみであって、永野芽郁も奈緒も来場はしていなかった。永野芽郁がいない会場でタナダユキ監督は主演の選択について、「いくつか選択肢のある中で、まず永野芽郁の芝居がうまいこと」で選んだと語りつつ、次に「彼女の持つ軽やかさがこの映画のシイノには必要だった」という意味のことを語っている。

『マイ・ブロークン・マリコ』は幼少からともに貧しい環境で育った2人の女性の運命が次第に別れ、そして死によって決定的に離別する物語だ。どれほど手を差し伸べ、何度助け出しても暴力を振るう男のもとに舞い戻り、「あたしは壊れてるんだよ」と親友に微笑みながら破滅していくマリコを、演技力で知られる奈緒が今作でも見事に演じている。

 そうした、魂に鉄鎖をくくりつけられたように深い淵に沈んでいくマリコを必死に助けようとしながら、自身は肺の中の空気によって浮上してしまうようなシイノの生命力の対比が映画の核になっている。死んでいく親友とは真逆に、身体が勝手に生きようとするシイノの、悲劇的なほど明るく健康な力を求めて、タナダユキ監督は永野芽郁を選んだように見えた。

ADVERTISEMENT

 原作でも映画でも、シイノは決して強いスーパーウーマンではない。細い体で暴力に怯えながら、それでも親友の死に怒り声を張り上げる永野芽郁のシイノは、本人が「これほど大声を張り上げる演技をしたことはなかった」とタナダユキ監督に語ったように、日常的に怒鳴り慣れている声ではない。だが、過去の作品と違う声域で永野芽郁が爆発させる怒りの演技は、「微笑みの世代」である10代20代に届ける、生きるための怒りのレッスンになっているように思えた。

最初の映像化が永野芽郁と奈緒でよかった

 10月1日、川崎のTOHOシネマズを通りかかると、20人あまりの若い女子たちがにぎわいながら記念写真を撮っているのを見た。最初、彼女たちが持っているうちわなどの「推しグッズ」を見て、いつものように男性アイドルや人気俳優の舞台挨拶が行われたのだろうと思っていた。だが、よく見れば推しグッズには『芽郁』と大きな文字で書かれている。彼女たちはその日行われた『マイ・ブロークン・マリコ』の舞台挨拶に集まった永野芽郁の女性ファンたちだったのだ。

 ニコラモデルから名を知られた永野芽郁には、まるで男性アイドルに恋するような熱さで彼女を「推す」多くの若い女性ファンたちがいる。彼女たちにとって同性の永野芽郁は、アイドルでありヒーローなのだ。