「その民家のスレートの屋根にボールが当たると穴が空いてしまう。そうなると、父兄が修理をしなくてはいけなかったんです。それまでも村上の打球が屋根を直撃することはありましたが、3年生になって飛距離が急激に伸びて、このままいったら修理してもしきれないくらいのことになるぞと……」
そこで吉本は村上に対して、「右方向に引っ張らず、レフトに強い打球を打つ意識を持ちなさい」と告げた。
「後年、村上のお父さんに聞いたら、『本当は引っ張りたかったし、めちゃくちゃ嫌だった』と言っていたそうです(笑)」
しかし、そんな素振りを見せることなく、村上はティー打撃から逆方向を意識した練習を続けた。その結果、プロに入ってからも村上の打撃を支える「逆方向へ引っ張る」感覚を身に付けることとなる。
「やっぱり一生懸命に、本当に野球に対して真面目に取り組んでいました。自分で『こういうことをやろう』と決めたら、それを毎日、毎日、地道に続けることができていた。自分との約束とでも言うんですかね……。コーチから『500回素振りしろよ』と言われてできる子は大勢います。でも自分で課題を見つけて、コツコツとやり遂げられる子は少ない。それは彼の才能だったと思います」
「彼はね、大阪のおばちゃん気質ですよ」
もちろん野球の才能なくして、これほどの選手に成長できなかったことは言うまでもない。ただ幼い頃から目的達成のために課題を見つけて、地道に努力する。そうした自己啓発力も規格外の選手に育った大きな要因だったはずである。
「彼はね、大阪のおばちゃん気質ですよ。周りにいる子供に『みかん、食べ!』『アメ、食べ!』ってお節介を焼くようなタイプです」
こう村上を評するのは、九州学院の監督として高校3年間、指導した坂井宏安だった。
「周囲の面倒を見るのが大好き。試合中もずっとゲームに参加しないと気が済まない。いまもベンチで試合を見ながら声を出し続けているでしょ。プロに入ってからも性格は変わっていないなと思いますね」
(文中敬称略)
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ジャーナリスト・鷲田康氏による「村上宗隆 三冠への原点を見た」全文は文藝春秋2022年11月号、および「文藝春秋 電子版」に掲載しています。
村上宗隆 三冠への原点を見た