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ド派手な一軍デビュー

 熊本の九州学院高校で捕手だった村上だが、ドラフト1位で獲得したヤクルトの育成方針は明確だった。

 球団のシニアディレクターとして村上獲得の中心的役割を担った小川はこの年から一軍監督に就いている。

「はなからキャッチャーで考えていなかった。打者として村上の才能を伸ばすためには内野手で、と判断していました」

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 すぐさま三塁へのコンバートを断行する。1年目の育成方針はファームで試合に出場させ、実戦の中で体力と技術の強化を図ろうというものだった。二軍で開幕から先発起用されると、村上は期待に応え、本塁打を連発。二軍戦では「四番・三塁」での出場が続くようになった。

「しばらくするとコーチから『そろそろ一軍にあげて村上を見たい』と、声が上がり始めた。それでもずっと我慢してもらっていたんです。しかし当時二軍監督だった高津(臣吾)に聞くと『打つ方は今でも戦力になると思います』と。それで9月に一軍に昇格させたわけです」

 一軍デビュー戦は9月16日、神宮球場での広島戦。「六番・三塁」で先発した村上は、いきなり初回の守備で一塁に悪送球するエラーを犯してしまう。ところが直後の二回の初打席で、そのミスを取り戻すように右翼スタンドに本塁打を放った。高卒新人の初打席初本塁打はプロ野球史上7人目、衝撃のデビューだった。こうしてド派手な一軍デビューを飾ったものの、やはりプロの世界は甘くはない。その後の試合ではバットから快音が発せられることはなく、結局、1年目は6試合出場、安打はデビュー戦の本塁打1本だけで、二軍にUターンすることになった。

 小川が続ける。

「一軍での経験から、彼はプロ野球でやっていくために必要な課題を見つけたようでした。二軍の残りの公式戦で『しっかりと課題に取り組んでいる』と、当時の宮本賢治ファームディレクターからも報告を受けていました。それで秋のフェニックスリーグでは10本塁打を放つなど、しっかり結果に結びつけていたのです。