北海道日本ハムファイターズ・新庄剛志監督の薬物使用問題が大きな反響を呼んでいる。6月8日、「文春オンライン」上にて第一報が流れると、様々な意見がネット上を飛び交ったが、そこには誤解や明らかな事実誤認が数多く含まれている。

「文藝春秋」7月号(6月10日発売)ならびに「文藝春秋 電子版」では、2006年に日本野球機構(NPB)によるドーピング検査で陽性だった事実、警察も巻き込んだ騒動の経緯などを詳報している。ここではこの問題のポイントとなる事実関係、16年前の薬物問題を報じた理由について明らかにしたい。

新庄剛志監督 ©共同通信社

2006年の日本球界でグリーニーの使用は明確な違反行為

 まず多くの読者が誤解しているのが、新庄監督が使用したとされるアンフェタミン系興奮剤「グリーニー」についてである。「NPBでグリーニーが禁止薬物に指定されたのは2007年からであり、2006年当時はルール違反ではない」との報道があるが、これは明らかな誤報だ。

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 NPBでは2003年に医事委員会を設立し「アンチ・ドーピング規程」を策定。当時の医事委員によると2004年と2005年に選手・スタッフ・球団関係者への啓発活動等を行い、そこで禁止薬物は世界アンチドーピング機構(WADA)の規定に準ずることを通達している。WADAでは2004年にグリーニーは禁止薬物に指定されており、2006年時点の日本球界でグリーニーの使用は明確な違反行為だった。

 また2006年のドーピング検査は非公式なものではない。違反選手の処罰と氏名公表は行っていないため誤解されがちだが、2019年にスポーツ庁において斉藤惇コミッショナー名で配布された資料でも、〈2006年シーズンからドーピング検査を開始し、現在に至るまで毎年約150検体以上のドーピング検査を行っている〉と記されており、決して形式的な検査ではなかった。

カージナルスに勝利し、ナインとハイタッチする新庄 ©共同通信社

 2006年当時はグリーニーが球界で常用されていたという話も、一部の〝事情通〟からまことしやかに伝えられた。しかし結果的には新庄監督の違反発覚後、同年の104検体でグリーニーなどの悪質な違反者は他には1人も出ていない。またそれ以降でも日本人選手でグリーニー使用による違反が摘発されたケースもない。NPBの2004年からの啓発運動で、すでにこの時点で、他の多くの選手はグリーニーの使用は重大な違反行為と認識していたことが窺えるところだ。

 そういうアンチ・ドーピングの流れの中で新庄監督は、2006年までグリーニーを使用し続けていたということになる。

 そして取材を続ける中で浮かび上がってきたのが、新庄監督が違反薬物であると認識しながら使用し続けたのではないかという疑問だった。2005年、「週刊朝日」(8月19・26日号)がロッテ選手による「グリーニーの集団使用疑惑」を報道。その直後から日本ハムでは、当時の高田繁GMの指示で、成分表示が曖昧なものや知人から勧められたサプリメントなどを口にしないように注意喚起をおこなっていた。