文春オンライン

2022/10/11

genre : ニュース, 社会,

なぜメモリアルな“新橋駅”がこんな風景に?

 このビル群は、いわゆる「汐留シオサイト」と呼ばれる再開発地区である。建ち並んでいる高層ビルの迫力はもちろんのこと、そこに入居している企業も平伏ものの大企業ばかりだ。

 主だったところの名前を挙げてみると、電通、全日空、富士通、共同通信、日本通運、三井化学、そして日本テレビ……。ほかにもホテルがあったり分譲・賃貸のマンションがあったり、まあとにかく壮麗な高層ビル群である。

 
 
 

 つまり、1872年に日本で初めての鉄道ターミナルとして開業した新橋駅は、150年経って鉄道のターミナルからまったく姿を変えて、大企業がいくつも集まる一大ビジネス街に変貌しているというわけだ。そしてその一角、高層ビルジャングルの中にひっそりと、150年前の姿に復元された旧新橋停車場が建っている。

 いったいなぜ、メモリアルな新橋駅はこのような形に変わってしまったのだろうか。ちょっとばかり、新橋・汐留の激動の歴史を遡ってみることにしよう。

建設には“強硬な反対”も…なぜ?

 近代以前、つまり徳川幕府のご時世には、いまの汐留シオサイト付近には龍野藩脇坂氏・仙台藩伊達氏・会津藩松平氏などの大名屋敷が並んでいた。加えて北側には商人や職人が暮らす「汐留三角屋敷」と呼ばれる町屋もあったという。

 

 明治に入って東京と横浜を結ぶ鉄道の建設が決まると、その東京方のターミナルに選ばれる。東京の中心に突入するその少し手前で、さらに大名屋敷という接収しやすい場所だったことなどがその理由であろう。また、ちかくには当時外国人居留地に指定されていた築地があり、海にも近く建設資材を運び込むのも容易だったという点も関係しているのではないか。

 ただ、これもまた有名な話だが、明治の初期においては軍部が鉄道建設に対して強硬な反対姿勢を見せていた。