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 西洋に負けない強い国作りにはまずは鉄道より軍の整備……というよりは、当時の政府は財政基盤が脆弱で、限られた予算をどこに振り分けるかというせめぎ合いが表出したというのが本当のところだろう。

 ともあれ、軍部は浜離宮に海軍基地を置く計画を持っており、隣接地に鉄道のターミナルなどまかりならん、と注文をつけたという話が伝わっている。とはいえ、他の場所に適地があるわけでもない。あえてこの場所を選んだというよりも、必然的に最初のターミナルが新橋停車場に決定されたのである。

鉄道網が充実すればするほど、新橋という場所がネックに…

 そうして晴れて1872年10月14日(当時は旧暦なので9月12日)、鉄道の開業とともに新橋停車場も営業を開始。開業初日には明治天皇も臨席して式典が行われ、お召し列車も運行されたという。

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 翌日からは一般のお客も乗れるようになり、翌1873年からは貨物の取扱もはじまった。そしてこの新橋停車場を皮切りに、日本の鉄道網は瞬く間に全国に拡大されていくことになる。

 ところが、鉄道が全国ネットワークになって充実すればするほど、新橋という場所がネックになってくる。

 

 というのも、新橋は確かに立派なターミナルだったが、線路の続く先は東海道方面に限られる。東京~大阪という大動脈の起点という点ではよかったが、東北・信越・北陸方面へのターミナルは上野駅に置かれていた。つまり、東京にはふたつのターミナルが併存していたというわけだ。

 そこで帝都の中心にふさわしいターミナルを、と話が進んで1914年に開業したのが中央停車場、東京駅である。

 そして新橋駅はターミナルとしての役割を東京駅に譲り、駅名も汐留駅に改称。以後は貨物専用の駅として存続することになった(このとき、すでに烏森駅の名で開業していた駅に新橋の名が与えられている)。

“はじまりの駅”の「次なる役目」は…

 鉄道開業のいわば聖地であった新橋駅は、こうして汐留駅と名を変えて、お客ではなく貨物を運ぶための駅として活躍する。

 

 その歴史は意外に長く、実に1986年まで東京の貨物輸送の拠点であり続けた。日本で初めてのコンテナ列車の起点になったのも汐留駅だったし、廃止直前の1985年にはマイカーをそのまま列車に載せて移動する「カートレイン」なるものも汐留駅から走っている。

 ただ、そもそもは明治初め、黎明期のターミナルが原点の貨物駅。当時とは輸送体系も輸送量もまったく変わってしまい、つまりは時代の変化に追いつくことができなかった。

 

 1973年にはコンテナ輸送に特化された東京貨物ターミナルも開業しており、東京の貨物輸送の拠点としての存在感も低下する。末期には主に荷物輸送(宅配便のようなもの)専業になっており、1986年に鉄道による荷物輸送が廃止されると完全に役割を終えたのである。