反対に、細い川に沿って山に向かっていけば、ふもとの集落の脇には小さな神社があって、小さな郵便局もあって、すぐに人家は絶えて山の中。ほんの5分も走らないうちに、てっぺんがすっかり赤茶けてハゲ上がった山が見えてくる。
この泊村の小集落は、“茅沼”という。ハゲ山はかつての炭鉱の跡で、ふもとの商店街はかつて炭鉱で働いた人たちの憩いの場。そして港は石炭の積み出し港だったのだろうか。いまは原発の村・泊村は、歴史を遡れば石炭の村。日本のエネルギーを支え続けてきた村なのである。
そしてもうひとつ、この茅沼という小さな集落には、忘れてはならないものがある。それは、日本で“最初の”鉄道が通った場所、ということだ。
あれ、「新橋~横浜間」で開業したはずでは…?
……いやいや、日本で最初の鉄道は1872年に開業した新橋~横浜間でしょう、さんざん150周年だとかなんだとか、キャンペーンをやっているじゃありませんか。それはまさかウソっぱち?
こんなご指摘もありそうだし、まったく的を射ている。確かに150年前に開業した新橋~横浜間が日本の鉄道としては最初の一歩であり、それから全国に鉄道網が広がっていまのネットワークが形作られていった。その点でいえば、新橋~横浜間は紛うことなき日本の鉄道のはじまりである。
ただ、それよりも少し前に、“鉄道のようなもの”が北海道の小さな村を走っていたのである。その名は茅沼炭鉱軌道といい、炭鉱の坑口から海沿いの港まで石炭を運ぶためのものだった。最初に運行をはじめたのは、なんと1869年。新橋~横浜間より3年も早い、“日本で最初の鉄道”であった。
が、実際には一般的な感覚でいうところの鉄道とは似ても似つかぬものだったようだ。
鉄ではなく木のレールを用い(この時点で“鉄”道ではない)、動力は蒸気機関車ではなく牛や馬。それも、牛馬を用いたのは上り勾配のときだけで、山から下ってくるときには自然勾配を利用して自走していた。これでは鉄道というよりはトロッコのようなもの、というほうが実態に近いかもしれない。
ただ、そうはいっても2本のレールの上に車輪を履いた車両を乗せて走らせる仕組みを常設したのはこの茅沼炭鉱が日本でいちばん古い。つまり技術的にはいちおう“最先端”というわけだ。明治になったばかりというのに、いったいどうして北海道の小さな漁村に最先端の技術が導入されたのだろうか。