『わがままな選択』(横山拓也 著)河出書房新社

「生理が来ないんだよね」

 ある日、“俺”田川静生は、妻の沙都子からそう告げられる。9年前、互いに30歳のとき、子供をつくらない約束で結婚した。予期せぬ妊娠の兆候に、「この場合男性は、間、髪を容れずにポジティブな反応をしなければいけない」などと思ったものの、口から出たのは「おお」という低い声だけ。そんな混乱のなか、入院中の母は人工透析を拒み「尊厳死を選ぶ」と宣言。二つの命にまつわる選択を迫られた静生は「人生史上もっとも騒がしい」日々を送ることになる――。

『わがままな選択』は、劇作家・演出家の横山拓也さんによる初の小説だ。横山さんは演劇ユニット「iaku(イアク)」を主宰し、社会問題を取り上げながら心の機微を細やかに描き、演劇界の次世代を担う新進作家として注目される存在。実は、もともと小説家に憧れていた横山さんのところへ、横山さんの劇作品ファンの編集者からラブコールが届き、本書が実現したのだという。

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「普段からセリフを書く喜びや面白みを感じながら、戯曲を書いています。といっても、詩的な言葉や強いメッセージを探しているわけではありません。何気ないやりとりのなかから見えてくる人間同士の深層心理の探り合いとか、思わず口にした言葉が転がるようにおかしな方向へいってしまった結果、取り返しがつかなくなる。そんな誰にでも経験がある会話を通して題材を描き出しています」

横山拓也さん

 横山さんが手掛ける舞台は、軽妙でいてリアリティのあるセリフの応酬が特徴。この小説でも会話シーンのテンポは絶妙で、事態の深刻さに反して、雰囲気はどこか飄々として明るい。

 本書のもとになったのは、2017年に初演され、加藤シゲアキ主演で今春上演された舞台「粛々と運針」。戯曲では二つの家庭の物語として書いたが、小説では静生の一人称視点で一家族の話に再構成した。語りの部分に、舞台のセリフにはなかった男性側の逡巡や本音もたっぷり入れ込んだ。

 静生はなかなか態度をはっきりさせない。出産をめぐる話し合いのなか、妻がそんな夫に問いかけるシーンが印象的だ。

「私、わがまま言ってる?」

「私、言い訳してるみたいに聞こえる?」

 不動産会社で順調に昇進し、収入も夫より多い沙都子は、現在の生活を変えたくないと強く思っている。

 横山さんは、実際に多くの女性が沙都子のように葛藤する姿を見てきた。

「この小説のテーマは、女性の選択。特に30代、40代の女性の人生の見つめ方や選び方です。20代からずっと一緒に演劇をやってきた仲間たちが、結婚や出産という選択を迫られ、時には演劇から離れていきました。彼女たちは、やりたいことをやりたいと言うだけで、わがままだと咎められる理不尽に苦しみ、家族から掛けられる遠慮のない言葉で傷ついていた。でも、そういうときに使われる『わがまま』って何だろう? 誰に対しての『言い訳』なんだろう? それを代弁したかったんです」

 ただ、女性の葛藤や選択をきれいごととして描きたくなかった。だから、男性の視点で語ることを選んだ。

「彼女たちの選択について、見えていない部分は、見えていないものとして描いたほうが、問題が問えると思ったからです。人は、出てきた結果を結果として見つめることしかできないと僕は思っています。それを静生と一緒に見つめようよ、と。そして、問題を共有して、意識をアップデートしていけたら。男性に向けて、そんなささやかな願いも込めています」

よこやまたくや/1977年、大阪府生まれ。劇作家、演出家、演劇ユニットiaku代表。第15回日本劇作家協会新人戯曲賞、第72回文化庁芸術祭賞新人賞〈関西〉など受賞。11月に俳優座で、12月に新国立劇場で、いずれも書き下ろしの新作舞台が上演予定。