「このまま社会に出てもダメだ」
若本 ほとんど「優」なんてない。就職活動もしなかった。このまま社会に出てもダメだなと思ってね。大学院に行こうと思ったんだけど、教授から「きみ~、これじゃダメだよ。ついてこられないよ」ってね。
――(笑)。
若本 企業は1社だけ商社を受けて、取締役の面接までいってね。面接まで2時間ぐらい時間があるから、ビルをちょっと見学したんだけど、「こんな仕事、僕には務まらないな」と思って。受付に「申し訳ないけど帰ります」って言って帰っちゃった。
でも、その時は10月の終わりで、もう就職シーズンは終わってるんだよね。それで「なんかワクワクする、ハラハラするような仕事ないですかね」と就職部に相談に行ったら、「これなんかどう?」と壁のポスターを指さされたのが「警視庁警察官大募集」。
――偶然だったんですね。
若本 そう。11月1日に大卒の就職試験があるからって、その場で願書を書いてね。合格通知が来て、半年間、警察学校に行って。最初は、蔵前の交番勤務だった。そのころは学生運動で日本が大変な時代だった。
僕は予備の機動隊で、正規の機動隊が手薄になったら出動するんだけど、幸い出ることはなかったよね。そういえば、この業界に入ってから、あたかも機動隊にいたような、そんな噂が流布されたんだけど……。
――警察官はどうして辞めたんですか?
若本 蔵前というのは問屋街でね。小商いの人が来て車を停める。当時は二重駐車、三重駐車なんてのは当たり前でね。でも、一応、駐車違反を取り締まらなきゃいけないんだけど、3000円の商いで来て3000円の切符切られたら、どうしようもなくて涙を流す人がいた。だから「今後気をつけてくださいね」と見逃したら、それを告げ口する奴がいた。
それで上官にこっぴどく説教されてね。「法の執行者として人を選べない。違反はいけないんだ」って。それで「やれないな……」と思ったね。で、辞めた。
――その後、悪質商法から消費者を守る「日本消費者連盟」で働いたそうですね。
若本 そう。元炭鉱作業員の知人がいて、その人から「警察やめたんなら、来てくれないか」って言われて「はい、わかりました」って。そこでの仕事はおもしろかったけどね。
当時の日本消費者連盟は、企業をバンバン告発していったんだよね。そのころは、今のような商品表示が全然ない。ごま油なんていっても、昔は10%しか入ってないのに、「純正ごま油」だって売ってた。
――それはひどい。