昭和34年(1959年)創刊の総合週刊誌「週刊文春」の紹介サイトです。最新号やバックナンバーから、いくつか記事を掲載していきます。各号の目次や定期購読のご案内も掲載しています。

「要するに、センスがないんだな」すべらない話の声優・若本規夫17歳の人生を救った恩師の言葉

『若本規夫のすべらない話』より #1

2022/04/23

「要するに、センスがないんだな」――この恩師による言葉なくして、今の声優・若本規夫は存在し得ない。

 声優歴50年、大ベテラン・若本規夫の人生を綴った『若本規夫のすべらない話』より一部抜粋。17歳の若本少年のセンスを否定する言葉が、なぜ救いとなったのか?(全3回の1回目/#2#3を読む)

声優・若本規夫の人生を救った言葉とは?(筆者提供)

◆◆◆

 中学3年で出会った先生も、いい教師だったね。

 中村先生っていうんだけど、関西大学法学部を出て、しばらく刑務官をやって、それから教職を取って、先生になったという経歴。その先生も、やっぱり熱血だった。

 その頃、父と進路相談をしていて、高校は理系に進んだらどうかという話になった。兄はふたりとも文系。エンジニアの父としては、末っ子の僕に、理系の道に進むように託したのかもしれない。僕自身は将来のことなんて深く考えていなくて、父がそう言うならじゃあそれでいいよという感じで、受験に向けて一生懸命勉強した。

 それで入ったのが関西大学第一高等学校。高校に入っても僕はとにかく勉強ばかりしていた。理系なので、数学、物理、化学、生物の授業についていくのが精いっぱいだったんだ。

人生を救ってくれた原先生の存在

 高校2年生の夏くらいからかな、急に数学が難しくなった。数Iのときはわりと成績はよかったんだけど、数IIでよくわからなくなってしまった。でも、自分の努力が足りないんだろうと思って、さらにねじりハチマキで勉強していたよ。

 関大一高は、関西大学と付属の高校と中学校がある広大なキャンパスに、春は桜、秋は紅葉で、点々と校舎があって、円形劇場もあったりする、非常にユニークな高校だった。先生も大学教授並みに専門知識があって精鋭揃い。

 その中に、原先生という数学の先生がいて、担任教師だった。長らく土木の仕事をやっていて、地下鉄の工事の設計などを経て、その後教師になった人。60歳を過ぎていたのかな。みんなの話を、うんうんと聞いてくれる温厚な先生で、ほとんど怒ったりしなかった。

 考えてみれば、その先生の言葉が後の僕の人生に大きく影響を及ぼすこととなった。