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屋敷 お兄さんから手紙をもらったのは、その将棋を指してからすぐなんだよね。当時のお兄さんはまだアマ初段くらいだったので、実績を上げたらと伝えたら、2000年の小学生名人戦で3位、翌年の中学生名人戦で準優勝。この時にもう一度話が出てきて、正式に入門して奨励会試験を受け、入会しました。小学生名人戦は都成さん(竜馬七段)が優勝した時です。その時の参加者が「プロ棋士では誰が好き?」と質問されていて、ほとんどが「羽生先生」と答えているのに、お兄さんだけ「屋敷先生」と答えていて、ものすごくビックリしました(笑)。

 

伊藤 兄のあとを追う形で師匠に入門し、私は04年に奨励会に入りました。当時は女流棋士になることを一切考えていませんでしたね。周りに将棋を指す女の子が少なかったのもあるかもしれません。将棋会館の道場で山口さん(恵梨子女流二段)と指していたくらいです。ただやっぱり、兄に続こうと考えていた方が大きかったと思います。

屋敷 師匠としては、奨励会と女流の道のどちらもありかなとは考えていました。伊藤さんは04年の小学生名人戦で3位になったけど、優勝した佐々木さん(勇気七段)、準優勝の菅井さん(竜也八段)、他にも永瀬さん(拓矢王座)や斎藤さん(慎太郎八段)と、すごいメンバーがそろっていた。こういう中で奨励会を戦うのは大変だったでしょう。

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伊藤 みんな大人になりましたよね。子どものころから関係がずっと続くのは将棋界以外だと珍しいので、同級生にうらやましがられることもあります。でもやはり戦う相手なので、楽しく話す機会もあれば、盤を挟めば絶対に負けたくないという気持ちもあったと思います。今、棋士として活躍している方々とそういう関係になれたのは自分の財産です。

屋敷 入会から20年近く経ったので、その間も色々ありましたが、タイトルを獲ることができて良かったですよ。最初から女流だったらと考えなくもないですが、奨励会の修行の厳しさが生きたとも思います。

 

師匠の言葉に背中を押されて、女流棋士の道を選んだ

――伊藤女流名人はご自身の奨励会時代に、女流棋界をどのように見ていたのでしょうか。ちょうど里見香奈女流五冠の台頭が始まり、またLPSAの創設もあった時期でした。

伊藤 奨励会を戦う自分のことで精一杯で、女流棋界のことはあまり理解していませんでした。里見さんについて意識し始めたのも、やはり盤を挟んで戦うようになってからです。その時点ですでにタイトルを多く獲得して、凄いことはわかっていますが、実際に盤を挟まないと体感できないこともあります。指してみて改めて、こういう人だからこれだけの成績を上げられるのだと、実感しましたね。