――2014年に奨励会を退会し、女流棋士に転向されました。
伊藤 年齢制限のギリギリまで続けたわけではないのですが、客観的に見ると棋士になるのは厳しいのはわかっていました。女流棋士として続けるか、将棋そのものをやめるかは結構悩み、師匠にも相談しました。
屋敷 そうでしたね。
伊藤 「女流の道もあるよ」と言っていただいたんです。当時の私は意地を張っていたんですよね。周りの眼も気にして、奨励会がダメだから女流になったと見られるのがイヤで迷っていました。直に「保険があってよかったですね」と言われたこともあり、きつかったです。師匠から言葉をいただいて、女流棋士として続けるという道を選びました。
屋敷 直に言われたのは知らなかったけど、そういうことはあってもおかしくない、厳しいところだから。ただ保険というか権利があるのは別に悪いことじゃない。権利は権利なので、使うのは自由ですよ。ただ伊藤さんがどうするかは、自分としては五分五分と思っていました。
奨励会の10年近い修行で身になったこともあると思いますが、その間の苦しさや挫折感は本人にしかわからない。苦しさにしても単なる将棋の勝ち負けならいいですが、この世界に女性が少ないということや、女流への転向にどのような眼で見られるかということもあります。ただ、将棋を離れて他の世界に行ったらまた一からとなりますが、女流棋界ならそれまでのスキルが生きる。最終的には本人の決断を尊重するつもりでした。
最後の一歩をどうしたらいいか
――女流棋士に転向から1年ほどして、初のタイトル戦を戦われました。それから挑戦を重ねて、9度目の挑戦で女流名人を獲得されました。
伊藤 初挑戦の時は楽しみでワクワクしており、挑戦できてうれしいという気持ちでしたね。それからも何度か挑戦できて、いつか取れると思った時期もありました。でも、ずっと挑戦止まりが続いていた時期は辛かったです。その頃のタイトル戦はあまり前向きには戦えていませんでした。
西山さん(朋佳白玲・女王)が女流棋士に転向されてからは挑戦もできなくなっていたので、前期の女流名人戦は挑戦権を得たのがうれしく、余計なことを考えず、純粋にタイトル戦に向かえましたね。不思議とそういう気持ちになりました。
屋敷 タイトル戦には毎年のように出ていたので、「機会があれば」という感じで見ていました。ただあと一歩が大変で、相手も強いので簡単にはいきません。最後の一歩をどうしたらいいかは私にもわからなかったです。伊藤さんも意識してそこをどう乗り越えるかということですが、前期の女流名人戦はいい状態で臨んでいると思いました。
伊藤 この業界の人とお会いすると、タイトル戦の話は出なくとも(自分の方が不利だという)世間的な下馬評は感じていました。ただ前期の女流名人戦ではあまりそういう雰囲気を感じなかったです。コロナ禍になって人と会う機会が減ったのもあるかもしれませんが。
写真=石川啓次/文藝春秋