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人々は考えないために情報を検索し、受信し、そして発信するようになった

 未知のウイルスに怯える人々は、まずその不安に情報を得ることで打ち勝とうとした。インターネットを得た人類はいつの間にか未知に対し、不安に対し、情報を検索することで抗(あらが)うことを当たり前のことにしすぎていた。

 しかしこのとき、COVID-19について十分な知識は地球上の誰も持ち合わせてはいなかった。むしろほんの少しインターネットを検索すればそれがまったく未知のウイルスであり、ワクチンや特効薬などの医学的な対抗策はまだ研究の途上にあり存在していないこと、そしてもっとも警戒すべきは感染への恐怖がもたらす社会的な混乱であることはすぐに確認できたはずだ。

 しかし、多くの人々は情報を検索しても答えがないことを、「分からない」という答えしかないという現実を受け入れることができなかった。それは彼ら/彼女らを安心させる現実ではなかったからだ。そう、いつの間にか人々は問題を解決するためではなく不安を解消するために、考えるためではなく考えないために情報を検索し、受信し、そして発信するようになっていた。

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 人々は言葉をネットワーク上に吐き出すことで、未知のものを擬似的に既知のものであるかのように錯覚することができた。自分自身に言い聞かせること、そしてそのことで少しでも不安を和らげることを無意識に、しかし切実に欲望する人々は、たとえそれがどれほど無根拠なものであったとしても、いや無根拠であるからこそ自分の信じる(信じたい)ことを言葉に置き換え、そして発信していった。

 こうして世界はパンデミックに匹敵する──あるいはそれ以上の──インフォデミックに覆われていった。今日においては既にいくつかのワクチンが開発され、その接種による感染の抑制が大きな効果を残している。しかしこの接種に対する最大の障壁が、これらのワクチンについて、その副作用を過大に誇張して報じるデマの類の存在だった。これらは基本的にフリーメーソンからQアノンまで、常日頃から世界に一定数存在する陰謀論を信じることでその精神を安定させている人々の妄想の産物に過ぎなかった。

 しかし、それがこの時期に人類社会が直面していた新型コロナウイルスという未知の存在との手探りのコミュニケーションのもたらす不安と結びつくことで爆発的に拡大してしまった。これらのデマの内容は、主にワクチンの過大な副作用を捏造することで人々の不安を煽るものだった。

 中には、これらのワクチンがWHOないし、シリコンバレーの情報産業による人口削減兵器であるという荒唐無稽なものまで存在し、それも一定数の支持を得ていた。おそらく2021年は世界的な、各国の統治権力によるワクチン接種の推進と、それに反対する反ワクチン運動との闘争が繰り広げられた1年として記憶されるだろう。

 そして、より状況を困難なものにしているのは、仮にワクチンについては冷静に対応し、デマの類を慎重に退けることができた人々も、未知のウイルスの存在そのものについては、必ずしもそうであったとは限らなかったことだ。

 行動規制に踏み切った政府を批判するためにこの疫病はありふれたもの(風邪の一種)に過ぎないと喧伝するジャーナリストから、飲食店や美術館など、特定の施設を感染源であると過剰に名指しすることで、行動規制を強いられた国民の不満のはけ口として、ある種の生贄(いけにえ)として利用する政治家まで──人々はこのパンデミックに対し、未知のウイルスという目に見えないものに手探りでアプローチして感染の拡大を抑制することよりも、既知の政治的、経済的な成功を目的とした人間間の相互評価のゲームに夢中になっていった。