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水谷豊がインタビューの後に右手を差し出し…

 今から14年前、私はシーズン7がスタートするタイミングで二人にインタビューをすることができた(『TV Japan』2008年10月号)。

 その時、水谷は「私たちはいわば目に見えないモノを作っているんです。監督をはじめとするスタッフ、キャスト全員が脚本に書かれているものを元に何をイメージするかを問われている。その意味ではドラマは作り事です。けれども、作り事なのに“真実”が見える瞬間が『相棒』にはあるんです。同様に『相棒』を見ている人たちが生活の中で感じる“人としてのリアルな気持ち”をふと、ドラマの中に感じる瞬間があると僕は思っています」と語っていた。

2008年当時の水谷豊さん ©文藝春秋

 そして、同シーズンをもって卒業する寺脇に対して「彼はちょうど僕が『相棒』を始めた時の年齢になるんですよね。それもあって、これから先、寺脇康文という俳優が自分の世界を作って、新しい世界に向かっていってほしい。今までの作品は財産になるけど、次に持っていく必要はない。『俳優としてまだ何もやっていない』と思うことで、今、何が大切なのかが分かってくる。そうすればきっと“次”に行けると思う」と、自らのたどった道を振り返りつつエールを送った。

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 短い時間ではあったがインタビューが終わると、水谷はスッと立ち上がり、さも当然のように右手を私に差し出し、「サンキュ」と軽やかに声をかけて去っていった。

 一介のライターにすぎない私に、これまでたくさんのキャリアを積み重ねてきた大ベテランが当たり前のように握手を求め、軽やかにその場を後にしていく。まさに「軽妙洒脱」とはこのことではないだろうか。30年のライター人生のなかでも忘れることのできない出来事である。

藤井フミヤやショーケンとも共演…水谷豊の存在感

 今年70歳を迎えたとは到底思えない、実に生き生きと若々しい水谷。先日も還暦を迎えた藤井フミヤの武道館でのライブに、仲の良い木梨憲武やヒロミとともにサプライズで登場するなど、とにかくフットワークが軽いのだ。

 そんな彼だが、俳優としてのキャリアは恐ろしく長い。

『熱中時代』(1978年、Blu-rayは2010年)制作:日本テレビ、販売元:VAP Inc.

 16歳のときに主役に抜擢された『バンパイヤ』(1968年)に始まり、萩原健一と共演した『傷だらけの天使』(1974年)、生徒に体ごとぶつかっていく小学校教師・北野広大を演じ一世を風靡した『熱中時代(教師編)』(1978年)および『熱中時代(刑事編)』(1979年)、妻である伊藤蘭と共演した『事件記者チャボ!』(1983年)、寺脇と初めて共演した『刑事貴族2』(1991年)、そして異例のロングシリーズとなった『相棒』(2000年~)と、テレビ局の垣根を越え、各年代にわたって代表作を持っている。

 歌手としても『カリフォルニア・コネクション』や『やさしさ紙芝居』といった、彼にしかだせない味わいのあるヒット曲を持ち、NHK紅白歌合戦にも出場経験を持つ。他に同じようなタイプの俳優を挙げよ、と言われてもなかなか見つからない、無二の存在である。