書籍やYouTubeなどで火葬場の“リアル”を発信し続ける下駄華緒さんは、過去に約1万人ものご遺体を見送ってきた元火葬場職員。2022年10月7日には、火葬場での日常を綴ったコミックエッセイ『最期の火を灯す者 火葬場で働く僕の日常』(竹書房)の第2弾を刊行した。
そんな下駄さんに、火葬場職員時代の“ヒヤッとした体験”や、現役を引退した今も火葬場の実情を発信し続ける理由を聞いた。(全2回の2回目/1回目から続く)
※プライバシー保護の関係上、本記事に出てくるエピソードは事実に基づいたうえで一部改変しています。
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幼い子どもの死はいろんな感情が渦巻いてしまう
――下駄さんは火葬場職員時代に約1万人のご遺体を見送ったそうですね。その中でも印象に残っている火葬はありますか?
下駄華緒さん(以下、下駄) ないですね、火葬はどんな人にも平等です……と現役の時なら答えていたんですけど。正直にいうと、子どもの火葬はめちゃくちゃ辛かったし、記憶に残っています。子を先に亡くした親の姿を見るのは、いくら仕事でもしんどい。
よく「死は誰にでも平等に訪れる」と言うけれど、幼い子どもの死は職員だった僕でも、悲しみだけじゃなく「なぜ」「どうして」と怒りや疑問、憤りなど、いろんな感情が渦巻いてしまって。
――ご自身のおばあさんの火葬を担当されたこともあると伺いました。
下駄 おばあちゃんの火葬もある意味、印象に残っている仕事のひとつですね。悲しんだり、落ち込んだりしているとミスを起こしてしまうから、感情に蓋をして、あくまで「仕事」として遺体と接するようにしていました。当時は遺族として悲しむ余裕がなかったです。
――現役の火葬場職員が、自分の親族の火葬を担当することはよくあるのでしょうか。
下駄 結構ありますね。ただ、自分の親族の火葬を担当するのは、誰にとっても精神的負担が大きいと思います。以前働いていた火葬場に、「遺体はモノや!」と口癖のように言う同僚がいたんですよ。最初は「なんてこと言うんやこのおっさん」と思っていたんですが、過去に自分の奥さんを火葬したことがあったと聞いて……。彼は「遺体はモノだ」と自分に言い聞かせることで、心のバランスを取ろうとしていたのかな、と。
僕の個人的な意見ですけど、身近な人の最期くらい、遺族として向き合えた方がいいんじゃないかなと思います。いくら火葬場職員だからといっても、遺族が亡くなった時まで職員である必要はないんじゃないですかね。