子ども同士のいじめは『仕方がない』と思っていた
なぜ、いじめの対象になったのか。
「もともとは長男が小5のときの音楽の授業で、教師が他の児童がいる前で、『あんたみたいな子は、仕事しようと思っても、試験受けても受からへん』などと言ったんです。他の児童も巻き込んで、長男を中傷しました。長男は音楽の授業に出られなくなりました。担任が教えてくれました」
兄の件を学校の対応を含めて翔さんは見ており、小3の頃から教師に不信感を持つ。「お兄ちゃんの屈辱を晴らしたい」とも言っていた。そんな様子が他の児童から見ると目立ったのだろうか。その後、市の子どもの権利条例や条例委員会の存在を知り、一時は希望を持った。しかし、学校問題の窓口は結局、市教委だと知り、残念がった。
「学校のことで相談したのに、対応したのが市教委の人たちだったのです。音楽の授業の件も市教委に訴えたことがあるんですが、解決しませんでした。電話で『校長先生に言っても、校長先生も解決してくれないんです』と言っていたことがありました。あの子は『俺、子どもにいじめられんのは平気や。相手は子どもやもん。俺が闘っているのは学校組織やもん』と言っていました。子ども同士のいじめは『仕方がない』と思っていました」
学校や市教委とのやりとりを録音することを母親に助言
他に、翔さんが不信感を抱くエピソードはどんなものがあるのか。
「小5のときの担任は、学校に行けないとき、毎日のように迎えにきていたんです。10時ごろになって、あの子が根負けして学校へ行くと、校門のところにいた別の先生に『ありがとう』と言っているのを見たようです。あの子は『この教師同士は繋がってたんか』と思ったようです。私は『そんな人を疑うことばかりもよくない。信じてみよう』と言いました。引きこもっている状態で無理やり手を引っ張って学校に連れて行こうとすると、抵抗して、背負い投げもされました。
6年になってから校長が代わりました。すると先生は家に迎えに来なくなりました。あの子は先生に心を開いていたので、話したかったんです。でも、学校に電話しても、出ませんでした。折り返しの電話もない。あの子は泣いていました。『管理職からの評価を気にして、俺んとこ来てただけやん』とも言い、失望していました」
翔さんは人権の大切さを感じたために、『こども六法』を購入した。学校や市教委とのやりとりをスマホで録音するように母親に助言したのも翔さんだ。
「小6の頃に買ったんじゃないかな。学校や市教委とやりとりをしていると、言った、言わないになる。そのため、スマホで録音することをアドバイスしてくれました。また、学校や市教委は法律をもとにいろんなことについて蓋をした。だから、あの子は法律で自分もやり返そうとして、買いました」