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 この検証報告は市長に提出するはずだった、しかし、市長は、顧問弁護士の助言のもと、検証報告書の受取拒否をして大きな問題となった。市長が受け取った場合、学校や市教委の対応の不十分さが明らかになる。受取拒否は市議会でも議論の対象になった末、8月2日、市長は「条例委員会」の報告書を受け取ることにした。

「条例委員会では情報漏洩があったという理由で、顧問弁護士の助言のもと、市長は受け取らなかった。情報漏洩というのは、『真実が明らかになるまで公表しないで、と遺族が言っている』と警察が非公式に伝えてきた、というものですが、市教委が、市長に受け取ってほしくないから、受け取らない方法を考えていたんだと思います」

学校側が弔問に訪れたが、遺族側の許可が下りず

 今回、泉南市教委の指導課長が、市役所内で筆者の取材に応じた。翔さんが小学校の卒業証書を手渡されたときに同席していた人物でもある。

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「小学生のときに卒業証書を渡せませんでした。そのため、中学校の校長室で渡したことがありました。そのとき、翔さんははにかんでいました」(指導課長、以下同じ)

 指導課長や資料などによると、市教委が翔さんの自殺を把握したのは3月22日。同日、市教委の調査委員会が開催された。メンバーは大阪府教委の関係者、泉南市教委の関係者、校長、教頭、スクールカウンセラー、スクールソーシャルワーカーら。翌日から遺族に接触を図ろうとするが、なかなか連絡がつかない。4月になって学校は基本調査を市教委に提出した。6月になってからは、市いじめ問題対策委員会があり、追加調査を指示した。

「翔さんが不登校の間、学校は日々、家庭訪問をしていました。亡くなったことは、春分の日があけた3月22日に知りました。電話をしましたが、出られないので、ご自宅へ弔問のために行きました。インターフォン越しにお兄さんと話しましたが、弔問の許可がおりませんでした。春休みになり、ご遺族の返事を待っていました。しかし連絡がなく、学校から意向確認のため電話をしました。それでも難しかったのです」

調査委員会を設置することを市長が決定

 生徒が自殺で亡くなった場合は、「背景調査の指針(改訂版)」などに従って、初期調査や詳細調査をすることになっている。なるべく早いアンケート調査が求められるが、学校側はアンケートや遺族の聞き取りをしないまま、4月22日付で基本調査を作成した。

「この時期、翔さんの自殺を公表していないので、子どもたちへアンケートを取ることもできませんでした。(市教委の付属機関である)『いじめ問題対策委員会』の助言や指示をもらっていました。学校ともやりとりしていました」