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 すなわち、医学的な臨床観察の報告として、死に瀕して生還した患者が、意識の回復後、「死後の世界」の入口で神のような存在と対話したという体験や、すでに亡くなった肉親に再会したという体験、意識が自分の肉体から離れて自分の体を見下ろしていたという「幽体離脱」の体験、意識が肉体を離れて動き回り、普通では見ることのできないものを見てきたという体験など、様々な「不思議な体験」を報告したものである。

 しかし、これらの書物は、真摯に「死」を論じているが、残念なことに、いずれも、読んだ人間に、「さらなる疑問」を残すものとなっている。

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三つの視点、いずれも残す「さらなる疑問」

 第一の「宗教的な視点」からの書物は、「死後の世界」が存在することは明確に主張し、それを信じることを多くの人々に求めるが、その「死後の世界」が、科学的に見て、なぜ存在するのか、どのように存在するのかについては、「神秘のベール」に包んでしまい、それ以上、語ろうとはしない。

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 第二の「科学的な視点」からの書物は、「死後の世界」が存在しないことは明確に主張し、多くの人々に、それを語るが、しかし、人類の歴史始まって以来、無数の人々が体験してきた「不思議な出来事」や「神秘的な現象」については、それらを、単なる「錯覚」や「幻想」、さらには「脳神経の誤作用」であるとして説明を終え、では、なぜ、そうした「不思議な体験」が起こるのかを、さらに深く、科学的に究明し、説明しようとしない。

 第三の「医学的視点」からの書物は、「臨死体験」の存在や「死後の世界」の存在については、その可能性を認め、できるだけ科学的客観性を持って、そうした「不思議な体験」が存在することを報告しているが、やはり、なぜ、そうした「不思議な体験」が起こるのかを、科学的に説明できていない。

 このように、これまで古今東西で著されてきた「死」に関する書物は、宗教的、科学的、医学的、いずれの書物も、「死」や「死後の世界」を真摯に論じているが、残念なことに、読んだ人間に、「さらなる疑問」を残すものとなっている。