また、マニラ首都圏やその周辺では、ダバオでドゥテルテが麻薬撲滅に乗り出した時と同じように、首から「私は麻薬常習者です。死んで罪を償います」などの札を下げた遺体も多数見つかっている。これは、ダバオ同様、密売組織が口封じで末端の密売人を殺した可能性が高い。
しかし、トンドのエミール・マルコスのような無抵抗の容疑者を警察などが殺害したケースもかなりの数に上ることは間違いない。また、麻薬とまったく関係のない庶民も麻薬戦争を通じて殺された例が少なからずあるのも事実だ。2019年6月には、警察の麻薬捜査の際、常用者とされた父親とともにベッドで寝ていた3歳の女児が巻き添えになって警察官に射殺される事件も起きている。未成年が殺されたケースも多々ある。
警察と暴力団は一体
警察はなぜ、こんなにも無慈悲なことをするのか。
まず、フィリピンの警察がどのような性格の組織であり、この国の人々にどのように見られてきたかということを説明する必要があるだろう。
端的に言えば、長らくフィリピン国家警察という組織は、警察と暴力団が合体したような組織だった。内部の腐敗は激しく、麻薬密売に関わる警察官も多数いた。風俗店や路上の違法店舗などから「みかじめ料」を取るのも警察官だった。
悪事を重ねるチンピラや、日本円で10万円程度の謝礼で殺人を請け負うような者はいるが、フィリピンには日本の暴力団のような組織はない。国家権力機関である警察がそれを兼ねているからだ。
フィリピンのテレビ局TV5がドゥテルテ政権下の2018年に麻薬戦争をテーマにしたドラマ「アモ(ボスの意味)」がフィリピンでは大きな話題を集めた。それは麻薬戦争の最前線とともに警察の腐敗ぶりを徹底的に描いたからだった。
ドラマの中には、金持ちと見られた日本人宅が悪徳警察官に狙われ、企業駐在員の日本人男性が麻薬所持容疑をでっち上げられて逮捕される場面もある。日本人企業駐在員が連れていかれた場所は国家警察本部で、警察官は家族に「容疑がなかったことにして解放してもいいが、金が要る」と事実上の身代金を要求している。とんでもない警察の腐敗ぶりだが、そういうドラマを見てもフィリピン人はさもありなんと思うのだ。
実際、このドラマのエピソードは事実に基づいている。