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「“女将”と呼ばれることに違和感が…」モロッコ出身女性が有馬温泉“最古の旅館”の息子と結婚して“期待された役割”

「“女将”と呼ばれることに違和感が…」モロッコ出身女性が有馬温泉“最古の旅館”の息子と結婚して“期待された役割”

金井ラミヤさんインタビュー #1

2022/10/31
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――初めての有馬温泉旅行で、他に思い出はありますか?

ラミヤ そういえば、夜に枕投げゲームをしました! 枕を遠くに飛ばした人が勝ちというルールで、前方に投げるはずの枕を私は後ろに投げてしまって。その枕が、現在の義理の父に当たったことは、今でもいい思い出です。その当時は後に義父になるとは思いもよらないことでしたが(笑)。

夫から見たラミヤさんの第一印象

――その後、ラミヤさんは大学の同級生だった一篤さんと結婚されました。一篤さんから見て、ラミヤさんの第一印象はどんなものでしたか?

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金井一篤さん(以下、一篤) 学生の頃、初めて彼女に会った時は「顔、小さい!」って、ショートカットだったので、余計にそう思いました。見たことのないタイプの人で、一目ぼれでしたね。大学卒業後は関西を離れて、2人とも東京で働いたあと、一緒にフランスへ留学することになりました。そのタイミングで結婚したんです。

留学のために来日した当初のラミヤさん

ラミヤ 私は東京でマーケティングの仕事をしていて、フランスではESSECビジネススクールでブランディングを学び、MBAを取得しましたが、2011年に東日本大地震が起こり、2人とも帰国することに決めました。

「『女将』をやってほしい」という声もあった

――そういう経緯があって、お2人は2011年から有馬温泉で仕事をスタートさせたわけですね。老舗温泉旅館へ嫁いだラミヤさんに、戸惑いはありませんでしたか。

ラミヤ 当時は日本人から、「旅館って、大変じゃないですか?」とよく言われました(笑)。

 もちろん難しかったこともあります。やはり最初は私にも、若女将として「着物を着ての接客」を期待されました。着物じゃなくてスーツ姿でもいいから、「『女将』をやってほしい」という声もありました。周りのイメージで私の役割が「女将」と決まっていて。でも、私は接客があまり得意ではないし、私よりもっと上手な人たちがたくさんいます。接客はその道のプロフェッショナルに任せて、私は自分のやりたいことをしたかった。

 

一篤 例えば、年末にお餅つきのイベントがあるんですけど、着物を着て手伝っていた時期もあります。今も、「着物を着たい」と言いますし、接客もするんですけど、気を遣いすぎてしんどくなっちゃうんでしょうね。だから毎日はできない。肌に合わないみたいで、あんまりやりたがらなかった。「肌に合わないことはしたくない」という強い意思もありました。

「外国人なのに、日本の旅館で着物を着て接客していたら、自分のアイデンティティはどうなるの?」という気持ちもあったんじゃないかな、と今になって振り返るとよくわかる気がします。歴史ある「御所坊」と言っても、常に挑戦する気風がファミリーにありますので、やりたくないと本人が言うことを彼女に強いることはしませんでした。