ラミヤさんが「本当にやりたかったこと」
――なるほど、そうだったんですね。ラミヤさんが「本当にやりたかったこと」とは?
ラミヤ 有馬でのブランディングの仕事です。旅館はただの箱ではありません。お客様が食事をして温泉に入るだけの場所ではないと思ったんです。例えば、旅館を訪れた人がその地域の文化や哲学、伝統を体験することもできる。いろいろな可能性を感じたんです。ですから、商品開発やコンセプトデザインなど、私にしかできない仕事を開拓してきました。
――実際、どんな仕事を手掛けられたんでしょうか?
ラミヤ 歴史の掘り起こしと、「御所坊」ホームページの改修から始めました。私はその土地の歴史を掘り起こし、コンセプトを定め、ストーリーを作ることを得意としています。簡単に言えば、その土地のアイデンティティを解き明かすのです。
ただ、そういったブランディングの発想は当時の日本でポピュラーとはいえない考え方でしたので、理解してもらえるまで、「御所坊」の責任者である義父とたくさん話をしました。
一篤 最初は価値観がまったくかみ合わなかったんです。彼女が持ち込もうとしたアイディアは、それまで有馬にも「御所坊」にもなかったから。何度か話をしましたが、うまくいきませんでした。
ラミヤ それでも議論ができたのは、主人が理解してくれていたからこそですし、義父もまるで実の父のような感覚で私に接してくれていたので、正直に意見を言えました。
「女将」と呼ばれることに違和感があった
――それでは、ラミヤさんは女将として接客の仕事はしなかった?
ラミヤ もちろんまったくやっていなかったわけではないですが、震災後、「これから世界に向けて有馬温泉を発信していこう」という時期でしたので、翻訳の仕事や、海外に向けたPRの仕事も必要とされはじめ、少しずつ私はそうした仕事に移っていきました。
私の中では、「女将」と呼ばれることに違和感がありましたので、「ブランドマネージャー」という肩書を自分で作り、名乗っていました。
一篤 当時を振り返ると、2012年頃からインバウンドの外国人観光客がやってくるようになり、彼女が主張していたことが実際に必要になってきた。彼女は「こういうことをやりたい!」という意思が強くて、どんどん突き進んでいったんですね。
私自身は両親の世代よりも、彼女の考えているビジョンをある程度理解していたと思います。その「やりたいこと」を実現できるようにバックアップしながら、お互いに言いたいことを言い合えるフェアな関係なので、今でも2人それぞれがやりやすいように仕事をしています。
――現在、ラミヤさんはどんなお仕事をしているのでしょうか。
ラミヤ いまは2007年に新設された「御所別墅」という旅館を夫婦で経営しています。コロナ禍の旅館経営はとても大変ですが、客室を有馬温泉らしい部屋に改修したり、有馬に伝わる伝説をモチーフにお風呂を作って金泉を引いたりしました。有馬の魅力を発信する映画の製作も進めているところです。