嚙み砕いて考えると、生身の自分にコンプレックスがあるんです。そのコンプレックスって、自分の顔がプラスチックじゃないから生まれてる。コンプレックスを受け入れる努力をするより、人形になる努力をしたほうが建設的なんじゃないかと思って。
「人間のように生きる権利はない」と思った過去
――ご自分の顔に対するコンプレックスは周りから何か言われたことが影響しているのでしょうか。
millna 正直、メディアの影響が大きいと思います。テレビでも女芸人の容姿を激しくイジることが多かったし、私が10代だった2000年代のインターネットってひどかったんですよ。「女は醜い。けどヤりたい」みたいな世界観がすごく広がっていた。
「あなたの好きなファッションが素敵だよ」という世界観の青文字系(個性的、非日常的、同性受けを狙ったファッション)雑誌にさえ私のような顔の人は一切登場しない。
その時に「私って彼女たちのようにおしゃれを楽しんだり、人間のように生きる権利はない。なぜなら彼女たちのような顔をしていないから」って思ってしまって。どこにも当てはまらない自分に疎外感を感じたんだと思います。この社会で自分の顔を出すと人間扱いされない気がしてしまって。
――直接何か言われた経験はないけど、テレビやネットの影響で自分の顔にコンプレックスを抱くようになったと。
millna そうですね。現実の世界ではブスって言われたことがないんですよ。でも「お察し」なんです。
雑誌には二重の大きな目で、顎が小さくて、ほっそりした女の子ばかりが並んでいて。それに当てはまる綺麗な女性芸能人でさえ、ネットでは「ブスだ」と叩かれて、「ここがダメだ」と他人から品評されていた。こんなに綺麗な人でも、ダメなのかって思ってしまって。