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《再びこの議場で、あなたと、言葉と言葉、魂と魂をぶつけ合い、火花散るような真剣勝負を戦いたかった。勝ちっ放しはないでしょう、安倍さん。》
真剣勝負とちゃんと言うのもプライドだし、何より「勝ちっ放しはないでしょう」という呼びかけがいい。
プロレスは結果も重要ですが試合における「過程(プロセス)」はもっと重要なのだと私は学びました。過程が充実していなければ意味がないのだ。それは政治家の議論も同じです。
政治の場における「プロレス」の誤用
ともすれば「プロレス」という言葉が政治の場で使われるときはネガティブな意味でしか使われない。「茶番」とか「段取りがある」みたいな意味で使われる。ワイドショーでコメンテーターが国会を見て「これはプロレスで……」などと半笑い気味で使う。
しかしそれは間違いです。政治でプロレスという言葉を使うなら「お互いの良さを引き出しあうからこそ、感動できる」「相手に一定のリスペクトをもって話を聞けば、建設的な議論になる」という意味でこそ、です。
プロレスの試合みたいに国会も「過程」を大事にしませんか? そんなことをあらためて思い出させてくれた追悼演説でした。
思い返せば、野田氏は国葬出席表明時から今の流れになることを仕掛けていたのでは? とすら感じます。
そんな「野心」も含めて良かったです。