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家賃は月4000円、260円のバス代も払えず…「生活は苦しかった」安室奈美恵が“トップミュージシャンになれた”ワケ

『本当の貧困の話をしよう 未来を変える方程式』より#1

2022/11/08
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 心のレベルアップを実現できれば、その人は社会で自信をもって生きていくことができるようになる。目の前にどんな問題が立ちふさがろうとも、予期せぬことが降りかかろうとも、それを乗り越えて前に進んでいくことができるようになるんだ。

 これを体現した中卒の有名人といえば、歌手の安室奈美恵さんがあげられるだろう。

 沖縄で生まれた安室さんは、保育園児の時に両親が離婚して、お母さんに女手一つで育てられた。お母さんは昼間は保育士さん、夜は水商売の店でホステスと二つの仕事をかけもちして働いて、安室さんを含む3人の子供たちを養った(平良恵美子『約束 わが娘・安室奈美恵へ』)。

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 生活は非常に苦しかったそうだ。離婚後間もなく、住んでいた家の家賃は月に5000円で、窓さえない六畳一間だったという。次に移った団地も、家賃が月4000円という格安物件だったというから、文字通りギリギリの生活だったのだろう。

 それでも母親はめげなかった。夕方5時に仕事を抜け出して安室さんを保育園に引き取りに行き、今度は自分が働いている保育園へ連れていく。毎日帰りは深夜2時で、3時間くらい寝て6時には起きて1日の準備をはじめなければならなかった。

 小学4年生の時、安室さんはたまたま友達と一緒に、沖縄アクターズスクールというタレント養成所へ行ってレッスンの見学をする。とはいっても、ここで学ぶにはそれなりのレッスン料がかかるため、安室さんにとって入学して歌手を目指すのは夢のまた夢だった。

 しかし、運命の歯車がここで動き出す。沖縄アクターズスクールの社長さんが安室さんの才能に一目ぼれして、特待生として無料でレッスンを受けさせてくれることになった。安室さんはお母さんに相談したが、団地から沖縄アクターズスクールへ行くまでの往復のバス代260円を払うことはできないと言った。それでも安室さんはあきらめず、片道1時間半の距離をバス停を頼りに歩いて通うことにした。

安室奈美恵がトップミュージシャンになれたワケ

 安室さんは、沖縄アクターズスクールで練習をつんでいくうちに、歌やダンスの魅力に取り込まれていった。もともとは物静かな性格だったが、いざ音楽が流れはじめるとダイナミックに手足を動かし、誰よりも心に響く声で歌いあげる。その才能は一目瞭然だった。

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