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『MISSLIM』での“匿名的でない”コーラス

——「あなただけのもの」「生まれた街で」「たぶんあなたはむかえに来ない」など、『MISSLIM』での“匿名的でない”コーラスが、今ではあり得ないくらい豪華な顔ぶれだったのには、そんないきさつがあったんですね。

山下「ター坊、美奈子と並んで、矢野顕子さんも“鈴木顕子”名義で参加してますから。
 ユーミンのレコーディングについてはもうひとつ思い出があって、初期のアルバムのレコーディングはすべてキャラメル・ママ、ライヴはダディ・オー!というステージ・バンドが担当していたんです。それがダディ・オー!から“僕らにもレコーディングさせてほしい”という要望があったそうで、彼等の演奏でシングルを作ることになった。録音されたのが『何もきかないで』と『ルージュの伝言』。シックスティーズのポップス風に、というリクエストに合わせて僕がコーラスをつけてます。当初『何も~』がA面になるはずだったのが、途中でAB面がひっくり返ってね。結果、『ルージュの伝言』が、ユーミンにとって初のスマッシュ・ヒット。『コバルト・アワー』という次のアルバムにつながってもいった」

——そういう現場での出会い、ダイナミクスがあってこそ、70年代のポップスの質が飛躍的に向上した。

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山下「当時は生活のため、少しでもお金を稼ぎたくて無我夢中でやっていたんだけど、結果的に質的な向上につながった面は間違いなくある。あとはCMの仕事。シュガー・ベイブ解散後ソロになってからも、売れない時代が70年代末期まで続いたので、CM音楽もずいぶんやりました」

SUGAR BABEが出した唯一のアルバム「SONGS」(1975年)

出自がパーカッションですから

——男性コーラスとしてもパイオニア的な存在だったという話が出ましたが、達郎さん独自のスタイルがどのようにして培われてきたか、興味があります。

山下「ギターの弾き語りというスタイルに、そもそも興味がなかったんですよね。初めて本格的にやった楽器はドラムス。小学校で鼓笛隊をやった延長で、中学でブラスバンド部に入ったのがきっかけだった。音大の打楽器科に行ったOBがいて、その人にコンサート・ドラムの基礎を教えてもらいましたました。ブラバンのレパートリーって、マーチとラテンの曲がたくさんあるので、コンガとかボンゴといったパーカッションも一通りやらされて。スティックで机を叩いては教師にどやされるくらい、ドラムに夢中でした」

——出発点からして、ギターの弾き語りとは一線を画していたんですね。

山下「出自がパーカッションですから。アレンジする時、リズム・セクションを構築できるのも、パーカッションをやっていたおかげ。リズム・パターンに関しての知識が、あらかじめあった」